プロフィール

こんにちは!

相羽 涼太(あいば りょうた)と申します。

【概略版】このブログ(「思考の垂れ流し」)について

このブログは、一人の企業勤め人が、試行錯誤する中で、自分を知り、相手を分析していく中で学んでいき、成長していく様子を綴ったドキュメンタリーブログです。

あくまで「私」の視点から、学びや作業のパフォーマンスを左右する健康管理などについて述べていきます。

このブログを通じて、少しずつながら自分が成長していく経緯をお伝えできればと思います。

詳細なプロフィールは下記に載せていますが、私は一度挫折して負け組から社会人生活をスタートさせた人間です。

そうした一度マイナス側に振れた人間でも、日々成長していくことで、ビジョンをしっかり持ち、イキイキと生きていけるようになることを示していくことで、読者のみなさんが少しでも参考になる部分があったり、勇気付けられたりできたらいいな、と考えています。

また、客観的に見ると、私は慎重派だそうなので、慎重派の方でも着実に成長していくことができることも示せればとも思っています。

ストレングスファインダー(2019年1月受験):慎重さ、収集心、個別化、責任感、自我

【詳細版】このブログ(「思考の垂れ流し」)について

人間の潜在意識にあることは、無意識・全自動でしているものなので自覚すると怖さすらあります。

人間には、他者に貢献する社会的動物なのでしょう。他者貢献は全自動でしています。

しない場合は、それぞれ理由がありますが、結局は顕在意識が邪魔をしています。例えば、ライバル心が分かりやすいですが、アドバイスすることが相手に知られると、自分の身に危機を感じるときなどは言いたくないな、となります。

かえっていえば、社会人になって数年後の学生時代の友人が、相談してきた場合、その友人と現在利害関係者(同業者など)でなければ、全自動で、話を親身になって聞いたり、自分の経験からアドバイスを捻り出すでしょう。

アドバイスを求められれば、何かを考えるし、気がついたら何かが口から出ている。人は、例えそれがお節介と相手に思われようと、本来教えたがりな性質を有しているのです。

だからこそ、自分が学び・成長することにはパワーを使いますが、それこそが尊いことなのではないかと思うのです。

その上で、成長していくためには、自分にとっては、思考することこそが課題であり、そこが大切です。

思考することには意識的に過ごしていく必要があります。ストレングスファインダーの解釈の話になりますが、私は、1位に「慎重さ」を有していることから、人よりも余計に、理論に自分が納得しないと行動に移せません。移すこと自体はできますが、自分に確信を持たないまま進めてしまうと、自己肯定感が低い状態でスタートしてしまうので、うまくいきません。

慎重さと収集心があるので、マイナス面としては、情報飽和状態になりがちなので、整理することが必要です。そして、情報を集めることは無自覚なのですが、割と得意なようで、かえって情報整理は、そこまで得意ではないので、エネルギーを費やす必要があります。

自分の頭が整理され、確信を持ちさえすれば、行動することのハードルはそこまで高くないと、これまでの経験から感じています。だからこそ、行動し、考え、行動し、というサイクルをどんどん回していきたいと、日々感じています。

私の得意なこと・好きなこと

まず、ストレングスファインダーにおける私の強みで、強く出ていると指摘され、自覚したのが、「個別化」と「慎重さ」です。

得意・好きなこととしては、「個別化」を活用して、利害関係者を調整することは得意で、好きです。調整しつつ、必要なことを必要な人に伝え、交渉しながら調整していく過程が好きです。

また、「慎重さ」も含めていくと、複数の選択肢がある中で、それぞれのリスクを考えつつ、役割分担をしながら進めていくことが好きです。実際、「リスク」という言葉を私は話すときによく使っていると思います。

私の苦手なこと

「個別化」「自我」資質があるので、自分が「これは」と思ったこと、つまり自我資質を発動させていることに対し、嫌がらせかのように見える言動や、建設的でないと感じるコメントをされると嫌です。

また、人間関係構築力が押し並べて低いので、パーティーに行って、知り合いがいないと特に恥にいるタイプです。そこに関しては、ガンガン話す方(「ポジティブ」「コミュニケーション」等持ちの方)のサポートが絶対的に必要です。少し前までは、「直したいなあ」と思っていたのですが、ここは直せる気がしていなかった分野なのですが、単に苦手だったということだ、と最近分かってきました。

私のこれまでの経歴について

前置きが長くなりましたが、ここから、私の経歴について述べていきます。

小学校時代からになります。

小学校時代

ここから過去の私について触れていきます。

私は、小学校時代はほとんど不自由なく育ちました。

普通の公立の学校でしたが、先生に怒られたことはほとんどなく、いわゆる「優等生」でした。

基本的には学級委員を勤め、勉強や運動も卒なくこなすタイプでした。

基本的には「いい子」で、言い合いとなると喧嘩っ早い対応を取ったことはありましたが、これといった悪ガキエピソードとかもなく、無難な生活を送っていました。周囲の評価という概念がなかったですし、概ね評価されつつ育っていったこともあり、日々楽しく過ごしていました。

習い事としては、小学校時代は、幼児喘息だったので、それを治すために3才から始めた水泳と、そろばんをこちらは小学校1年生から始めました。

そろばんをやっていたので、当時、計算問題は全く苦になりませんでした。

ただ、国語のテストの「聞き取り問題」は苦手でした。

中学校時代

中学校受験というのがあったのは耳にはしていましたが、特に周りに受ける人が多くなかったこともあり、塾に行くなどの選択肢がそもそもなく、そのまま地元の中学校に進学しました。

ここでも真面目に過ごし、小学校時代に学級委員を勤めていたこともあり、生徒会に入り、生徒会長を勤めたりもしていました。高校入試の面接で生徒会ネタを使ったのを覚えています。

学校の成績は田舎であったこともあり、特段苦としていませんでした。選択肢が当時はそもそもなかったのでどうしようもないのですが、勉強面でいえば、中高一貫校に、もし入っていたら、気を抜かず勉強を淡々とやり、「デキる子」になっていたかもな、と思うところはあります。

部活は、続けていた水泳とバスケットボールをしていました。中学校時代はカッコいいプレーに憧れていて、ヒートに在籍していたドウェイン・ウェイドのプレーに魅せられていました。背は大きくないので、ポイントガードが基本ポジションでした。

このころも特段苦なく生活しますが、中学2年生後半あたりから、親や周りの期待に応えるのがしんどく感じるようになってきました。今から振り返ると、「中間」「期末」のテストが訪れるたびに、当時にしては相当のプレッシャーを感じていました。

高校時代

高校受験は苦戦せず、世間的には進学校と言われている高校に進学しました。

家から遠いところまで通学することになったこともあり、これまでとは違い、色々な価値観の人に出会いました。

この頃から思春期から始まる「自分は何者か」という疑問がふつふつと湧いてきます。自分には他の同級生と違って自分らしさがなく、「人に合わせていただけだ」と気づき、どんどん迷宮に入っていきました。

小中学校では人からの承認を受けて育ってきたものの、高校では承認される機会が滅法減りました。これは田舎から少し都心部に行ったので、田舎の人数の少ない環境と、都心の人の大きい環境との差を実感し、適応することができなかったこともあると思います。

「数学だけは強い」とか「面白い」とか「運動できる」とか、色々な「デキる」人がいましたが、自然と彼らと自分とを比べていて、これといった特徴のない、自分のことが嫌いでしょうがありませんでした。

おそらくこうした自己肯定感の低さからも来ていると思いますが、さらに「なんで勉強なんかやらなければいけないのか」と思い始めてしまい、自分軸のない私は、勉強をやる理由が発見できず、いつの間にか勉強が好きではなくなり、何もせずなんとなく時を過ごしていました。

勉強なんて意味ないのでは、と思いつつも、学生が評価されるのは勉強なので、だらだらと勉強は続けたりしたものの、その理由が分からない私は成績を落とし、自暴自棄になっていました。実行はしなかったですが、当時を振り返ると、自傷行為とかを始めていてもおかしくなかったと思います。

高校時代の途中までバスケットボールは続けていましたが、中学校のときのような情熱はありませんでした。

水泳部員を除いた水泳のスポーツ大会で優勝したことがあったのと、マラソン大会で50キロ近くを走破した経験は、あまりない高校時代の記憶の中でも、嬉しい記憶として残っています。

振り返ると、「承認」が急に減ったのが大きな要因だったのかな、と思います。

大学時代

高校時代に無気力となっていたので、現役時代は大学受験に失敗し、一浪の上、中堅の大学に進学しました。

進学といっても、「周りで就職する人がほとんどいないから」というのがその理由で、大学に行って何をするといったことは決まっていませんでした。

そうした状況は、大学2年前半まで続いていました。そこまでの期間はもがき苦しんだ時期でした。「自分が生きている価値なんてあるのか?」と思うことも頻繁にありました。

大学2年後半からは、ゼミ活動に精力的に取り組み始めることで、少し輝きを取り戻してきました。大学3年からはゼミという小さな枠組みではありながらもゼミ長を務めることで、イキイキと生活するための一歩を踏み出し始めました。

アルバイトは、集団塾の先生と、大学4年の卒業までの最後半年はGUで新規店舗立ち上げ期に働いていました。

大学のゼミ活動

上述のように、私は一種無気力の状態で、「大学生であればゼミをやるんだろう」という感じでゼミ活動もしよう、と当初考えていました。

しかし、ゼミ活動をしていくにつれて、ゼミ活動を「ゼミ長」として真剣にやりたい、と思うようになってきました。具体的にはこの2つの想いが会ったことがゼミ長になることを自分の中で決め、行動していった原因です。

・ある先輩が、私のことを気にかけてくれた上、尊敬できる方で、その方がかつてゼミ長をされていたこと
・教授から学べることが多く、尊敬できたこと

当時は、本人の意思は不明ですが、将来のゼミ長として周りから有力視されていた人がいましたが、周りにも協力いただき、自分がゼミ長として活動できるよう、自分なりの努力も続け、働きかけていきました。

そして、ゼミ長を務めるようになってから、その後も紆余曲折はありますが、私の大学生活が充実するようになってきました。

このことをストレングスファインダー的に理解をすれば、先輩と先生が尊敬できることから、お二方へ「責任感」と「自我」が芽生えたんだと思います。

「責任感」「自我」を発揮したくなるような状況にあることが、自分にとって重要であり、それがイキイキと活動できるようになることが、振り返ると分かってきました。

社会人1年目

そして大学を卒業し、社会人になりました。

意気揚々とサラリーマンとして働き始めましたが、特に1年目はバラ色とはかけ離れたものでした。

当然ではありますが、社会人1年目なので、何もできません。事務職としての業務の中心は、アポ取りや資料の印刷などになります。資料作成といっても、基本的に転記に類するものです。

私は、日々上司(当時の係長)に怒られていました。毎日何かしらは指摘されていたと思います。

・ホチキスの止める位置が違う。
・メールの書き方が違う。
・宛先が足りない。
・印刷部数が違う。

残業時間も多かったですし、終電を超えることもありました。自分が未熟な面は認めつつも、それでもかなり辛かったです。

とはいえ、これは指導であり、パワハラには当たらないとは思います。人格攻撃はされていませんし、友人・知人に聞くと、もっと辛いことなんてザラにあります。

何故辛く感じたかが分からなかったのですが、ストレングス・ファインダーの概念を学んだ後から振り返ると、「自我」「指令性」「自己革新」などがある私にとって、「命じられた通りに従うだけの仕事」をずっと続けていることが苦痛だったと理解しています。

辛さを乗り越えた理由

社会人1年目は総じて辛かったのですが、何とか乗り越えることができました。大きな要因は2つあると考えています。

まず、1点目は、ビジネス本などの実用書の存在が大きかったと思います。

吉越さんの「デッドライン仕事術」を当時の上司に紹介されてから、仕事の考え方について、本で学び、職場で実践する中で社会人となることができました。

「7つの習慣」などで成長の原理原則を学び、「社会人1年目の教科書」などの本で、仕事のやり方の基礎的な考え方を学んだりしていく内に、何とかやっていけるようになっていきました。

2点目は、周囲の支えです。直属の上司ではない、先輩方や、同僚や、大学時代の友人など、時折食事に誘ってもらったりして、時間を過ごしたので、折れずに来れたんだと思います。

人間は社会的動物であることは、この社会人1年目の時に強く実感しました。特に旧友との再開などは、アポイントを事前に取っていると、当日になって急に面倒になったりもするのですが、実際に会うと、特に辛かった時期には、会った後に気持ちが軽くなったのを今でも覚えています。

ストレングスファインダー的にいえば、私は「人間関係構築力」が「個別化」を除き押し並べて低いので、対人関係が広い方ではないし、人への関心もあまり高い方ではありません。しかし、人のありがたさは、この時期に強く実感することができました。

社会人2年目以降〜現在

2年目以降は「社会人」となり、少しづつ学びながら、仕事について理解しているところです。

1人前の社会人となるべく、歩みを進めているところです。仕事の楽しさもようやく見えはじめましたが、もう一歩前に進め、人生をイキイキと過ごしていきたいです。

「なんとなく」の人生から脱却し、後悔のない人生を過ごしていきます。

これから

周りの方がどう思っているかは分かりませんが、私は、どう考えても野に生える雑草です。全くもって桜などの綺麗さがなく、泥臭く生きています

特に高校〜大学前半時代、楽しくなく、本当に「何もしていない」状態でした。どう考えても、もったいない生活を送っていました。最初に述べた通り、当時は、完全にマイナス側に振れていました。

一度しかない人生だからこそ、楽しんで生きていければと、今では心から思っています。

まだ自分が嫌になることはありますが、昔より自分嫌いは減ってきました。成長していく中で自己肯定感を持った人間に変わっていけるということをお伝えできたら、と強く思っています。