昔は、完全にテレビや新聞で言われたり書かれたりしたことこそが、「世間の意見」として持て囃されてきていた。
そして、それに対して疑義を挟む声はあったのだろうが、目にすらしなかった。
しかし、その風潮は変わりつつあり、いよいよその変化が分かりやすく出てくるようになったと思う。
「2ちゃんねる」の匿名文化
変化の最初の風は、恐らく「2ちゃんねる」であっただろう。ここから、人の「噂」の影響力が強まり、広がるようになったと思う。
とはいえ、その影響は限定的であったようにも感じる。事件が起こればそれは報道されるものの、多くの人にとっては、その報道が入り口となるので、「2ちゃんねる」を恐怖や嫌悪の対象として見ることも多かったように感じる。
とはいえ、ここから変化の兆しは生じてきたように感じる。
東日本大震災以降の「既読」文化
日本では、東日本大震災が変化の1つのきっかけであったと思う。そこ以降で、LINEが普及して、「既読」機能が大事であることも広がったように感じている。
「災害時に安否が分からないのは困る。そして、たとえメッセージが送れなかったとしても、「既読」さえ付けば少し安心する。」
という考え方が一気に広がったと思う。そして、その考えは「理解できない」という人はあまりいないと思う。
個人的には、「既読」機能により、「メッセージを見る」ことが義務化されたように感じ、息苦しさを覚えた。
というのも、私は、メッセージを送るときにも、それにより与える影響を考えるので、どうしても返信に時間がかかってしまうのだ。
ただ、LINE以降、息苦しさは強まっていったように感じている。
Twitter等による監視社会化
LINEは一時期ほどの絶対的なツール感は薄れ、Twitterの認知度が上がってきた。それにより、「監視社会化」が強まってきたように感じる。
キッカケは、おでんツンツン事件や、コンビニ等バイト先で悪事を働かせるのをTwitterなどで発信し、それが断罪されるようになったころから変わりつつあったように感じる。
その上で、芸能人の不倫がよく雑誌やTV番組で取り沙汰されるようになってきたことも関係してきているように思う。
ここあたりから、「倫理」の考え方が強まっているように感じる。最近でいえば、「マスク警察」などになるであろうか。
人により価値観は異なるので、答えは人により変わってくることに対して、人が人を断罪するようになってきた。
息苦しさ
これまでのいわゆる「情報革命」によって、多くの人は情報を獲得しやすくなり、一部の人はそれを上手く発信することで、自分の生きる世界を変えるキッカケを得た。
他方で、デメリットとして、とにかく息苦しい時代にもなった。特に批判をされやすい側にあるものにとっては、守りの大切さが重要になっているように感じる。
表に出て、上手くやっている人は、最初にネガティブ意見を伝えておいたり、前置きをして、工夫する必要が出てきた。
フラットな関係を目指す
その息苦しさをどうにかして解放したいと感じる。そして、そのためのヒントとなるのは、フラットであることにあるのではないか、と思う。
現在も、年長者を重んじるというか、年功序列という考え方は現存している。しかし、年が上だからというだけで否応なく尊敬すべきなのか、というのは冷静な目で見返す必要がある。
例えば、ある程度一般化すれば、若い人には、パワーがあり、変化を受け入れる柔軟性がある傾向にある。年を取った方には、経験の蓄積による未来の見通しの強さや応用範囲の広さがある。
上司が言うことを唯々諾々と従っているように見えた部下の人がいた。しかし、その部下に話を聞くと、外面上はそう見えないのに、実は不満が溜まっていたということを知った。
これは、どちらにも非がある。それでも、その部下が不満が溜まる以上の行動に出たとき、誰も得しない。それを想像するだけでも辛いものがある。
その観点での「自由」は必要であり、そこに寄与する人生でありたいと感じている。