本音を大切にすること

内に秘めることは良くない

日本人的価値観の中に「内に秘める」という文化があるが、これに関しては貫いてもあまり良いことがないように思う。

確かに日本はハイテキスト文化であり、一般的には感情を読み取る力が高い人が多いように思う。実際、「阿吽の呼吸」という言葉が存在しているほど、お互いがお互いの心情を読み取ろうとしている。

ただ、どうしても人はそれぞれ違うところがあり、読み取ることはできない。完全に読み取れる人がもしいれば、その人とペアを組んでやったら異次元の世界がすでに実現している体。「人間」という意味での共通部分は多くあれど、DNA的な差異と環境による差異とを掛け合わせれば、他者を理解するということの難易度は非常に高い。

だからこそ、内に秘めても良いことはないと感じている。

引かれ、非難される後悔より内に秘めた後悔の方が強い

先日まで、我慢していたことがあった。

仕事で人間関係が崩れないように円滑なコミュニケーションを心がけていたが、そうしたらあまりに強権的な態度に出てきはじめたので、ストレスを溜めていた。

このままだとエスカレートすることは分かっていたので、限界に達する前に、口に出した。「なぜ強権的な態度に出てくるのか意味が分からない」と口火を切り、思っていたことを山のように口に出した。そうしたら場が静まった。

これも思っているならその場で言ってくれと思ってしまうのだが、後から、「何でそんなことを言うんだ」的なコメントはあった。それに対しては適宜返答したが、しかし、正直、そんな非難なんてどうでも良く、言葉にしたことの清々しさの方が上回った。

全ての人に好かれることは残念ながらできない。そして、嫌われるのも仕方ない。少人数であっても、自分の存在を承認してくれる人がいるのであれば、生きる意味はあると思う。

マイナスフレーズを全て撤廃する必要はない

しばしば、文句・愚痴などを代表とするマイナスフレーズは良くないとされる。

他方、私は、建設的な批判というものは確かにあり、それがアイデアを成長させると考えている。

文句・愚痴と建設的な批判は、もちろん、言葉上では分かれているが、実際使われる文脈では特段区別されていない。

そして、実際、その区別は教わってもいないので、どうしても曖昧になる。

だからこそ、暫定的な結論としては、マイナスフレーズを撤廃すべきでないと考えている。人によっては、愚痴に取られるかもしれないが、自分が建設的な批判で、そのアイデアをより良いものにするために実施しているものと信じていれば、その受け取られ方がどうであれ、伝えていくことが自分にとっては是だと思う。

最後は本音でしか生きられない

そう考えていくと、いろいろ細部でカモフラージュは可能ではあるが、最後はどうしても本音で生きるしかないと考えている。

俳優さんは自分の人格でなくても憑依するプロだが、私にはとてもではないができないと思う。

技術としての伝え方の面も相当あるものの、心に思ったことを抑えることは良くないことで、自分を苦しめることに繋がってしまう。

この記事を書いた人

相羽涼太

相羽涼太

読書、手帳術、旅行記・訪問記・食レポ、ジム(運動、食事)、英語学習などを中心に記事を更新します。

インターネットの登場で、「考える」ことが減りがちな今こそ、自分なりの軸を持って、考え、発信していくことを大切にしたいと考えています。

SF(上位10位、2019年1月現在):慎重さ、収集心、個別化、責任感、自我、指令性、目的志向、自己確信、信念、学習欲