リハーサルってどうでもよくね?

これまで、リハーサルをあまり重視せず人生を過ごしてきた。

実際、それで本番で少し焦ることはあったと思うが、そこまで重要ではないような気がしていた。

主催側ではないイベントの参加など、リハーサルが強制的に行われるものもあったが、やってみても「うん、大体イメージできるよな…」と思ってしまっていたのだ。

資料準備第一主義

その代わりといっては妙ではあるが、資料など「準備」は大切だと思ってきた。

だから「話すこと」「書くこと」などの準備には人より時間をかけるし、それが自分のスタイルだと思っていた。

新型コロナによる派生的な影響で気づいたこと

2020年は、本当に「出かける」とか「対面で会う」とかができなかった1年だった。

よく振り返ってみると、年始の3ヶ月強については、まだ動けたのではあるが、その思い出が霞むほどに、人と直接会う機会がなくなった。

そうなると、あらゆることがオンラインで行われるようになった。そこからリハーサルの大切さに気づけた。

資料を共有画面で示す

オンラインで話すとなると、弱点として、双方向性がかなり失われてしまう。

TVの司会者と中継のレポーターのように、順番を守って話す必要がある。そして、そのために、直接会っているときよりも、「少しの空き時間」であってもすごく気になってしまうのだ。

そんなオンラインの会議で、リハーサルで、資料を共有画面でスムーズに映す練習をした。

結果からいえば、映そうとする時に一瞬緊張したが、大きなトラブルはなくリハーサルでもでき、本番では、既に一度やっている動作なので、全く緊張せずに済んだ。そのときに、打ち合わせって「便利だな」と感じた。

「ちょっと面倒なこと」と「便利性」

この便利さを知ったときに、少し世の中の真理に近づいた気がした。

「ちょっと面倒なこと」をやった後に「便利さ」を得るという経験は、想像以上に、人に対してインパクトがあるということだった。

客観的に考えると、リハーサルで得た効果は、「5秒程度の緊張した時間をなくした」に過ぎない。しかし、私が感じたのが、「本番で混乱する要素がなくなり、心理的に余裕が生まれた」ということであり、リハーサルへの感謝であった。

小さなリスクかもしれないが、実感としてこの違いは大きいと感じた。そして、そんな「体験」こそが貴重だと感じた。小さな芽ではあるが、そんな体験を生み出すことが実は自分がしたかったことではないか。

この記事を書いた人

相羽涼太

相羽涼太

読書、手帳術、旅行記・訪問記・食レポ、ジム(運動、食事)、英語学習などを中心に記事を更新します。

インターネットの登場で、「考える」ことが減りがちな今こそ、自分なりの軸を持って、考え、発信していくことを大切にしたいと考えています。

SF(上位10位、2019年1月現在):慎重さ、収集心、個別化、責任感、自我、指令性、目的志向、自己確信、信念、学習欲