俺は不器用に抗い続ける者として生きる

絶望感との戦い

日々絶望感を味わう。

割と、いわゆるsmartに属するタイプの、知識の怪物みたいな人にはたくさん会ってきたように思う。年齢が自分よりかなり上だったりすると、この土俵で戦うとどうしても勝てない。

そもそも私は記憶力は強くない。基本的には経験をしたり、思い詰めるほど叩き込んで初めて知識として使えるほどの凡才ブリである。

かえって、私は人脈の天才という訳でもない。そもそもどうしても人見知りというか、何より「世間話」はどうしても苦手である。話す目的もないのに何でそんなに器用に話せるんだ、と不思議でならない。

また、cleverと位置されるモノだと、色々な見方があると思うが、網羅的・戦略的な視点だとこれまた無理だ。それこそ学者やコンサルのような「10年後の世界のあり方」とか解かれると、どうも興味が持てない。

戦える土台もある

しかし、実は、あまり圧倒されないところもある。

たとえば、人間関係面でいえば、感情面のリンクではなく、その人が何を求めているかという方向での人間観察でいえば圧倒されないし、こちらが話す目的があれば、その場では特段問題ない。

また、clever方面でいっても、論理を納得されるための理論武装側は好きなので、その分野であまり圧倒される思いはしない。

これらはストレングスファインダーというツールで導き出した私の長所の一であり、それに気づけるキッカケとして非常に有用であると思う。

それでも、日々の生活でいえば、圧倒されることの方が多い。

構造的差別はある

とはいえ、なぜこんなにも苦しい思いをするんだ、といえば、やはりsmartな人間だったり、ビジネスでいえば、初対面で強い人間が分かりやすいところにあるからである。

まずsmartな人間は本当にあらゆるテストに強い。そして、少なくとも日本社会ではそれは確実に評価される。現代は知識は淘汰されるという言説はあるものの、正直、それは言われてもいるだけで、構造はまだまだsmart優位である。

そして、その優位さが思春期と丸ガブリなのも困るものである。思春期に抱えたコンプレックスは本当に尾を引く。smartな人が優秀な訳ではなく、人間には誰しも秘めたる能力があるのだが、どうしても違うと思ってしまうのである。

また、ビジネス上ではコミュニケーションの天才が目立つとは思う。とはいえ、それはsmartほどは大きくはない。

環境要因

そして、環境要因も大きい。

本当に幼少期から勉強漬けだった人は、本当に勉強を自然にやるのだ。

その分私は、エンタメ消費などをしてのほほんとしていたが、それはかなりの程度環境要因によるところが大きい。

だからこそ、年収が高い親ほどその子は学歴が高い傾向になってしまう。

そして、その集団ができるので、集団ごとの差はあらゆるところに出てくるのだ。

諦めているのに腹が立つ

そして、その構造が時に残酷に降りかかってくる。価値観の違いを認められないから、蔑視になる。

そして、偏差値というシステムがある以上、どうしてもテストが得意な人間が人間の格としても上だと思ってしまうのだ。

この構造はすぐには変わらないし、変わったとて自分はその影響を享受することはない。

私が腹が立つのが、その構造の中で一度でも下に行った人間が諦めている状態である。この諦めの状態は本当に最悪で、すべてのやる気を奪ってしまうと思う。

そして、最初はそんな諦めている他者に腹が立っていたのだが、それは他人に腹を立てているのではない。過去、諦めたことのある自分に腹が立つのだ。

後悔することは、その諦めて過ごした年である。その時期の記憶が本当にないのだ。

私は、「挑戦」という価値を高く置いているが、これまで、何でこんなに拘るのか分からなかった。自分と一切関係ない人でも、「諦めている人」を見るだけで腹が立ったが、その理由が分かってきた。

だから挑戦すべきだ。そして、挑戦するのは自分だ。その上で、その姿を見て刺激を受ける人が1人でもいれば、それは自分の幸せではないかな、と思う。

人間には誰しも何らかの才能があると自分自身が信じていたい。

そして、挑戦したその先に新しい世界が見えるという意味での自由があると思う。その新しい

世界で、結局別の悩みは生じるのだが、前に進まないと、その世界すら見えない。

言葉なんて後からいくらでも作れる。今に情熱を燃やせるかが自分にとっては大事だ。

配られたカードで戦うということ

ちなみに、戦い方というのはある。

とはいえ、初めてやっている際には分からない。私は、経験しないと分からないという異様な不器用さなので、とりあえず当たってみると、少し先が見えてくるのだ。

ただ、一度何か自分の中で「成功」が見えてくると、それをパターン化することで、有利な戦いになる。それが配られたカードで戦うということだと私は思う。

もちろん、自分に配られたカードに強い自覚をそもそも持てる才能を持つ人間はいるとは思う。

しかし、その才能がない限り、後から見えてくるものなのではないかな、と思っている。そして、その時に分析ツールを使うと便利である。

この記事を書いた人

相羽涼太

相羽涼太

読書、手帳術、旅行記・訪問記・食レポ、ジム(運動、食事)、英語学習などを中心に記事を更新します。

インターネットの登場で、「考える」ことが減りがちな今こそ、自分なりの軸を持って、考え、発信していくことを大切にしたいと考えています。

SF(上位10位、2019年1月現在):慎重さ、収集心、個別化、責任感、自我、指令性、目的志向、自己確信、信念、学習欲