エンドロールに乗る人になりたい

映画を一通り見終えた後に、映画のエンドロールを見る時間が割と好きだ。

エンドロールを見ているときに、名前がズラーッと流れてくるのだが、その映画が「良かった・心を揺さぶられた」と思うほどに、「自分もいつかここに載りたい」とさえ思ってしまうのだ。

そして、ロケ地を借りてインタビューしたことが読み取れたりした際、「ここの枠ならいつか可能性があるかも…」などと謎に妄想を始めている。

それは、どういう気持ちの現れなのだろう、と不思議な気持ちになった。

目立ちたいのか?

名前が出るということは、目立ちたいのか、と思ったこともある。

昔は、自分は目立ちたがり屋に当たると思っていた。

もちろん、今から考えてみれば、非常に狭いコミュニティの中ではあったが、その中で中心にいたい想いがあった。

同時に、目立ちたいから目立ちたがる人が好きではなかった。当時は同族嫌悪かな、などと思っていた。

しかし、そう言う訳でもないようだ。よく考えてみると、そのような「目立ちたい」という理由で目立とうとする人は底抜けに明るかった。そういう人でも完璧は無理だと思うが、「万人ウケ」というのに近かったのだと思う。

そして、私自身がそういうタイプでもないのは自分がよく分かるので、それが幼ながらに羨ましかったのかもしれないな、と考えるに至った。

多様なリーダーシップ

とはいえ、ただ目立ちたい訳ではないが、名前を残したいという想いはどうも強いのだろう。

いい作品であるほど、「ここに名前が乗りたいなあ」と思うのは、それが自分にとっての生きた証ともなるから、それが欲しいということなのだと思う。

そう考えると、リーダーシップを発揮することは、私にとって必要になってくるということであると思う。

実際、人生の中で自分らしく生き生きしているな、と思うときはたとえ小さいグループであれ、自分が長を務めているときである。逆に、チームの一員として振る舞うときは、どうしても「自分がやらなくてもいいんじゃないか…」と思ってしまう。

その意味で、表に出すぎないタイプのリーダーシップが自分が目指す像なのかもしれないな、と感じている。

有名な方でいえば、ラリー・ペイジ氏やユニクロの柳井さんのようなイメージだろうか。名前や功績は有名だが、表部隊に積極的に立っているタイプではないように見受けられる。

内側に秘めた情熱

また、映画のエンドロールが好きなのは、作った証として、情熱を表出したような感じがして好きだということもある。

名前を見ていく中で、作品に対する情熱を感じるのだ。

そして、そう考えていくごとに、「作る側」に対する飽くなき興味を感じる。その上で、改めて自分は「美しさ」とかそうしたものを重視しているのだな、と感じる。

化学などで世の中が何でできているかを知るよりも、哲学としての生きるための「考え方」や、答えがないことに対して「表現する」こと、人間らしくあるための生き様などに興味が強いように感じている。

これに限らず、興味があることを深掘りしてみると、生きるためのヒントになるように思う。

この記事を書いた人

相羽涼太

相羽涼太

読書、手帳術、旅行記・訪問記・食レポ、ジム(運動、食事)、英語学習などを中心に記事を更新します。

インターネットの登場で、「考える」ことが減りがちな今こそ、自分なりの軸を持って、考え、発信していくことを大切にしたいと考えています。

SF(上位10位、2019年1月現在):慎重さ、収集心、個別化、責任感、自我、指令性、目的志向、自己確信、信念、学習欲