映画評「劇場版 鬼滅の刃 無限列車編」〜適度なネタバレを含みつつ〜

映像化の付加価値

今回は、漫画で大枠のストーリーを把握していたところから視聴したので、映像化によって何が変わったのか、というところにどうしても目が行ってしまった。

私自身、最初はアニメから入って漫画に移行したので、魅力を感じていたのは確かだが、今回、漫画から映画という逆の順で辿ったので、映像化による付加価値を実感した。

補足すること

漫画は絵と文字で伝える一方で、アニメでは、動画と声で伝える。そして、これまでの作品の場合、漫画の要素を減らして映像化するものが多かったように感じる。

しかし、本作については、補足として追加している部分が素晴らしかった。

例えば、鬼の下弦の壱との戦いだが、漫画版では戦闘情景の描写がそこまで丁寧には描かれていなかった。

漫画の読み込み不足の面もあるだろうが、主人公たちが、この鬼をどのような過程を踏んで倒そうとしているのかがイマイチ分からなかったのだ。

特に、相手は知略型なので、鬼側は策を講じていくのだが、その策を講じる意味がイマイチ理解できなかった。あまり効率的に主人公たちを倒そうとしているようには思えなかった。

しかし、そこの部分が映画版では分かりやすく表現されていた。「幻想的な夢を見させる理由」「鬼が車両と一体化した訳」など、鬼側の戦略が理解できた。「あ、原作で伝えたかったのはこう言うことだったのか」とハッとなった。

また、その後の鬼、上弦の参との戦いも、「実質勝ってるけど相手が鬼だから負けた」ということがヒシヒシと伝わってきた。

盛らないこと

その一方で、「絶対感動シーンとなるところ」については、てにをはくらいは変えているのかもしれないが、印象としては原作と一切変わらないと感じた。

そして、上記の補足についても、あくまで必要な補足の範囲に留まっていた。エンタメ要素を過度に誇張して作品を引き延ばすようなことを一切していないように受け取った。

例えば、上弦の参と戦った煉獄氏は負けて死んでしまうのであるが、この遺言を全員は聞いていない。

また、煉獄氏は列車が倒れる際に、人を死なせないようにたくさん技を繰り出していたようなのだが、その描写は原作に忠実に「しなかった」のも印象深かった。

よく、「原作へのリスペクトが〜」などと言われるが、その尊敬を感じるところは、こういった細部のところから感じるものなんだな、と思った。

個人の戦い

その上で、鬼滅の刃の魅力は、「個人の戦い」にあると思う。

もちろん、鬼と人間が純粋に戦えば鬼が有利なのだが、そのため、人間側はチームで戦うのだが、それでも最終的には個人で戦っているという情景描写を強く感じた。

サポートがないものとして、あくまで「自分が戦う」と個々人が思いながら、時に運よく味方のサポートがあったりしつつ戦うのだ。

その「最後は個人戦である」というところに強く共感する。

期待値の罠

ただ、本作については、私の中で期待値が高くなり過ぎていたと思う。良作であるとは思ったが、想像を超えることはできなかった。

既にアニメ化して、大ヒットして社会現象になって、その後という、絶対成功の方程式を揃えた映画だったと思う。

そうなると、過剰に期待が上がってしまうのだと思った。多分、何も知識がない状態から見たらより感動したんだろうな、と思ってしまった。

人が抱える期待値を超えることの難しさも感じた作品でもあった。

この記事を書いた人

相羽涼太

相羽涼太

読書、手帳術、旅行記・訪問記・食レポ、ジム(運動、食事)、英語学習などを中心に記事を更新します。

インターネットの登場で、「考える」ことが減りがちな今こそ、自分なりの軸を持って、考え、発信していくことを大切にしたいと考えています。

SF(上位10位、2019年1月現在):慎重さ、収集心、個別化、責任感、自我、指令性、目的志向、自己確信、信念、学習欲