価値観の違いから考える体育会系のノリと年功序列制度の関係性

体育会のノリの非合理性が理解出来なかった

昔から体育会系のノリが好きではなかった。

論理的に合理的であれば納得できるし、自身の反省にも繋がるのだが、アホみたいな怒られ方をされたからだ。

これに関しては、個人的に嫌な経験をしてきたという思いも大きい。例えば、私はこのようなことが理解できなかった。

声を張れ!という怒鳴られ

声を張れ!と言われたことがしばしばある。

それこそ体育会系のノリであることが理解できれば、それは雰囲気で言っているだけだと分かるし、対応法は、「はい!」と「すみません!」みたいなことを大きな声に見える声でしばらく言っていれば完了するというものである。

とはいえ、初見の看破は無理だし、永遠に声を出さされるように思える時間を作り出すのは子供ながらも正直よく分からなかった。

「声が聞こえない」としてその指摘した先輩が耳の持病があれば理解する。しかし、その先輩にはそうした持病を持っていないことは知っているので、どうしても、「あなたには聞こえているでしょ?」と思ってしまう。

理不尽な怒り

声を張れ!はまだ様式美のような側面もあるのでまだいい。タチが悪いのが、個人の怒りをぶつけられたときであった。

ある時、「ドアを閉めるときに音が大き過ぎる」と指摘された。あまりに身に覚えがないので、反論したが、なんかブチ切れてきた。

その後、あまりによく分からなかったので、一応、周りに確認したが、私のドアを閉める音に怒っていたのは聞いた範囲ではその人だけだったと認識した。

そして、観察すると、丁寧にドアを閉めているのはその人だけだった。

単にイラつくというのは分かるが、当時は、何故そんなことに対し、怒りを強く感じたのかが分からなかった。

それは、個人の価値観を押し付ける様子がどうしても受け入れられなかったのだ。そう思うのは自由であるが、他人にも自由があることをその人が考えていないように見えた。正義感の押し付けをされたのが琴線に触れたのだと思う。

胸ぐらを掴まれた

先のドアの件と似た案件だが、私は、みんなで合意の上で決めたルールであれば従うが、暗黙のルールや常識といったことには拘るタイプではない。

だからこそ、無意識に「失礼なこと」を積み重ねていることがある。そうしていくと、「態度が気にくわない」となるらしい。

そんな積み重ねがあったことは後から周りから聞いて知ったのだが、ある飲み会の時に、急に胸ぐらを掴まれたことがある。あまりによく分からな過ぎて驚いた。

色々周りから話を聞いていくと、その相手は、相手なりに怒りを溜めていたらしい。そこもよく分からないのだが、嫌なら嫌と言って欲しいし、言わなくても態度に出してくれる方が助かる。

そうであれば、私も関わらろうともしないので、win-winだ。なのに、彼は私に関わってきてはストレスをためていたようである。

それ以来、向こうは「酔った席の話だった」としていたが、私はその1件があるのでよそよそしい態度にならざるを得ない。「よそよそしいなあ」と言われたが、当たり前だ。もう胸ぐら捕まれたくないし、話すのでさえ勘弁して欲しい。

加害者と被害者

いじめの問題とかを論じるときに、しばしば「加害者側は覚えていないが、被害者側は覚えている」と言われる。

それは真実だと思う。

私は、人に対して傷付けることもしてきたと思うが、正直そこはよく分からない。しかし、これまで述べてきたことを振り返ると、やられた側は強く印象に残っているもののの、やった側は本当に覚えていないんだな、ということを感じざるを得なかった。

そして、被害者側としては、その傷を胸に秘めている。

年功序列と体育会系のノリ

そして、年功序列制度は体育会系のノリの延長だと感じるのだ。

年功序列制度の中では、従順なやつの方が可愛いとなることが多い。もちろん、全員が全員とは言わないが、その傾向があるのは間違えないだろう。

なぜならば、年功序列において大事なのが、「継続年数」だからである。

しかし、それが行き過ぎると、アイデアを考えることや行動していくことの重要性さえ蔑ろにされてしまう。自由に行動する人よりも、年長者に従順な人の方が好まれる傾向が生まれてしまうのだ。

もちろん、全体傾向としては減っているだろう。しかし、年功序列制度で育ってきた組織の幹部クラスの人から取れば、今まで苦しんできたのに、ようやく得た利権を奪われないようにするのは当然である。

だからこそ、個人レベルでいえば、環境は選択できる。嫌なのに我慢する必要はないし、逃げたらいいと心から思う。嫌な目を受けた話はしばしば聞くが、正直、あまり耳にしたい話ではない。

認め合う社会がいい

人間には得意不得意がある。完全に万能な人間はいないので、チームで動いた方が生産性の観点からも高いと思う。

そして、お互いがお互いを補い合うようなチームこそが、もっともイキイキしていると感じる。

だからこそ、自由な社会、認め合う社会がいいし、それに対する想いも強いのだと思う。

この記事を書いた人

相羽涼太

相羽涼太

読書、手帳術、旅行記・訪問記・食レポ、ジム(運動、食事)、英語学習などを中心に記事を更新します。

インターネットの登場で、「考える」ことが減りがちな今こそ、自分なりの軸を持って、考え、発信していくことを大切にしたいと考えています。

SF(上位10位、2019年1月現在):慎重さ、収集心、個別化、責任感、自我、指令性、目的志向、自己確信、信念、学習欲