面倒な健康診断を解釈する

先日、健康診断に行った。これ自体は年に1度はやっているルーティンである。

この「健康診断」というルーティンが好きではない。それでも予防的観点も含めやらない訳にはいかないということは理解はするので、なぜを掘り下げて考えてみることにした。

待ち時間・終了時間の不確定さ

色々な検査項目がある中で、いちいち「待ち時間」があって面倒なのだ。同時に、終了時間が読めないという側面も大きい。

この「待ち時間」はどうしてもそわそわしてしまうため、有効な時間にならない。次の予定まで●分ある、と分かっていれば、それにあった量のタスクをやろうと工夫して目標立てして実行するのだが、それが出来ないのだ。

自分でコントロールできないことがあまりにも多いためか、実施するだけで疲れてしまうのだ。逆に、何度か経験した「ちょうど空き時間なのですぐに終わった検診」であれば、確認として丁度いいし、そんな時は、「たまの確認作業は重要だな」とも思えるのだ。

PDCAサイクル

コントロールできない部分が多い他に、PDCAサイクルの面からも気になるところがある。

健康診断というのは、PDCAサイクルのCの部分に位置することにあたる。ここで確認をして、良いものについては継続し、悪いものがあれば、それを取り除くようにするというのがその主目的である。

その上で、このCの確認のプロセスについては、時間はかけない方が私に向いているという性質がある。確認プロセスが長いのが好きという人はいないようにも思えるが、私は短い方がいいな、と強く思う。

確認作業に時間をかけると、そこで疲れてしまうので、次の行動に繋がらないことがあるのだ。試験なども、範囲が狭くミニテストを積み重ねた上で、段々と範囲を広げていく形が一番教育上効果が高いと体感している。

その点、この健康診断は、Cなのに時間がかかるのだ。そこに面倒な気持ちが出てきていると感じる。

「面倒」というマイナスに見えるものの大きな効果

如何に「健康であろう」としても、すべての病気を防ぐことはできない。それは事実である。

しかし、健康であれば、この面倒な健康診断プロセスでは負担が軽減される。診察で注意されてしまうこともなければ、検査の件数を無闇に増やすことはない。

それは健康であることのメリットの1つであり、案外大きいものなのでは、と思う。

健康であると身体は軽く、パフォーマンスは良好になる。しかし、そこについては、個人で実感するのは難しいのだ。それは健康であれば、「パフォーマンスが良い」が普段の状態であり、不健康であれば「パフォーマンスは悪い」が普段の状態になるからだ。

そして、生活習慣病も同じである。「普段の状態」がシフトしてしまい、気がついた時には大きくマイナスに触れているのだ。

だからこそ、認識は難しい。

他方、「健康診断が面倒臭いから」というモチベーションは、分かりやすいし、実際、その「面倒さ」を認めるようにしたことで、数値にも着目するようになった。

健康の値ギリギリのものについては、それを減らすための行動変容を自然にするようになったのだ。

そして、「面倒だ」と感じるあらゆるものに、その潜在性があると感じている。そうすると、「面倒だ」という気持ちを感じたときこそ、チャンスの一歩目ではないか、と思えるようになってきた。

この記事を書いた人

相羽涼太

相羽涼太

読書、手帳術、旅行記・訪問記・食レポ、ジム(運動、食事)、英語学習などを中心に記事を更新します。

インターネットの登場で、「考える」ことが減りがちな今こそ、自分なりの軸を持って、考え、発信していくことを大切にしたいと考えています。

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