人との距離感について〜悩みの解決に向けて〜

信頼している人との距離感

私は、仕事上の関係など、ドライな関係を保つことは割と得意である。他方で、自分が信頼していて、少なくとも自分にとっては相手も自分のことを信頼しているのであろうな、と思う人に対しても距離感を持ってしまうことに悩みを抱えている。

距離感を保つことに注力し過ぎていて、近くしてもいいと思っている人に対して上手くアプローチができていないように感じている。

裏切りへの怯え

何が怖いかといえば、信頼していた人から裏切られるということであろう。近づいて距離を離されると悲しいが、基本的に距離をとっていれば傷つくこともないので、そこで自分を守っているのだ。

これは学生時代の数度の経験が背景にあると思われるが、他方で、信頼している人にはもっと自分のことを知って欲しいという欲求もある。

保身と欲求との間で板ばさみになってしまっていた。そして、欲求の感情の方が大きいのに、実際の行動は保守側に触れているから悩みになっているのだ。

距離感を取る理由

なぜ距離感を取るのか。ほとんど無意識なので何も考えてこなかったので、考えてみることにした。

人と関わる以上、自分にとって関わりたくないような人と絡むことになる可能性をゼロにすることはできない。

それにも関わらず、私はゼロに近づけたいとあまりに強く思っていた。

恐らくこれは過去の経験によるものなのだろう。嫌な人との繋がりがあったとき「どうだったから」という分析はできていないが、他方で、距離感さえとっていれば、近づくこともないので、そういう嫌なことに巻き込まれることはなかったのだ。

「距離感を取る戦法を取ると、取らないよりは嫌なことに巻き込まれる可能性が低い」ことを無意識で仮説を持ち、無意識の中で実証し、自分の中で真実であるかのように昇華されてしまっていたのだ。

楽しくない

生き方は人それぞれである。というより、価値観が人によって違うからこそ、人間という生き物は興味深いのだと私は思っている。

あらゆる人と距離感を保っておくことで、保守的な人生は送れるようになるとは思う。安心感はあるのかもしれないし、もし距離感を持っていても嫌な人が入り込んでしまったら、更に距離を取ることで、人生を送っていくことになるのだろう。

しかし、それは面白い生き方なのだろうか。自分の中での答えは否であった。死ぬ直前に後悔する生き方をしていた。

死ぬ間際になって、「自分の人生は楽しかった・充実していた」と胸を張って生きていたい。

変えてみる

これまで述べてきた思考をグルグル続けていた。そして、考える中で気づくことは確かに大事ではある。

しかし、気づいて行動することも大事だ。私は、考えるフェーズはある程度整理できていたのだ。足りなかったのは、行動することにあった。

まずは姿勢から変えていく。信頼する人に会おうと誘うことだ。断られてもいいし、それでも声をかけてみることが変わる第一歩になると信じている。

あとは、パーソナルな話題も話すようにしていきたい。私は、文献を読むことよりも、人から聞いた話の方が応用を利かせやすいし、そうしようと思う傾向がある。

だからこそ、もっと色々な会話を交わしていこうと思う。これまではあまりに「しょーもない」で切り捨て過ぎていたように思う。

この記事を書いた人

相羽涼太

相羽涼太

読書、手帳術、旅行記・訪問記・食レポ、ジム(運動、食事)、英語学習などを中心に記事を更新します。

インターネットの登場で、「考える」ことが減りがちな今こそ、自分なりの軸を持って、考え、発信していくことを大切にしたいと考えています。

SF(上位10位、2019年1月現在):慎重さ、収集心、個別化、責任感、自我、指令性、目的志向、自己確信、信念、学習欲