ボイトレを自分を変えるためのツールとして活かす

歌うのが楽しい

先日ボイトレを受けて、「リズム」「アクセント」などを教えてもらった。これまでは何となく歌っていただけだったのだが、強く歌っているときは気持ち強く発音して、音源でリズムをとっている音に合わせることを意識するようにした。

そうすると、歌っているときに自然に乗っている自分がいた。これまでもリズムに乗って歌っているつもりではあったが、そこにはどこかで「歌っているからリズムに乗っている」といった固定観念に縛られているようなところもあったのだ。

それが抜け、自然に歌っていた。よく民族音楽とかで自由に踊り出す人たちがいるが、その人たちの気持ちが理解できたような気がした。

そして、リズムに乗ると、楽しいと感じる。そこには、デザートのような作られた甘さではなく、自然に植生するフルーツを生齧りするときに感じる、甘い中にも爽やかさがあり、自然に幸せを感じるような感覚があった。

恥を取り除いていく

宴会芸のようなことを自らやり場を楽しませる人がいる。

そういった状況をよく「恥を忍んで」などというが、それをやっているとき、彼らには「恥」という感情すらないように感じる。

そう考えると、私はそういう場面でかなり「恥」を感じる。人見知りの部分も相まって恥を感じるのだ。

しかし、そういう恥を感じる必要はないのではないか、と最近思っている。実際、恥を持っておしとやかな人よりも、いわゆる「ネジがぶっ飛んでいる」と言われる人の方が魅力的に感じる。

歌を歌うことで、声を張る。それは小さな恥を取り払う行為のように感じる。こうした小さいことから、不用意なところにある恥の概念は取り除いていきたいな、とも思った。

自分の声を分析したい

これまでは何となく声を出す練習をしてきた。

それでも上手くはなっているような気もするが、基本的には他人からの評価を待っているのみで、それだと「本当に成長しているか否か」を自分で判断することができない。

完全にそれを測定するのは難しい。歌であれば、一番身近なものとしてはカラオケ自動採点があるが、カラオケに通おうとはあまり思わない。

将来的にはそういう思いが出てくるのかもしれないが、少なくとも今は、自分の声を自分で認めてあげられるようになりたいと思う。

今はまだまだ、時折録音することがあるが、自分の声を聞いてみると、違和感が強く、つい「気持ち悪いなー」と思ってしまう。自分自身が、自分の声に聞く耳を持てていない。

道筋となる1つのヒントとして話を聞いたことがあるのは、まずは自分の中で、「ここはいい」と思える部分を探し、その部分の再現率を高めるところから始めるらしい。

恐らくその方法が正しく、その自分の好きな声を出せる率が高まれば、それは自分にとって成長したと感じられるようになるし、自分を認めることにも繋がる。

正直、あまりこうしたことを書くと、「ナルシスト的」に思われる風潮がまだまだあるように感じる。私の中では、自己愛を他者に誇示するところまで行ったときを「ナルシスト」と定義しているが、どうも自己肯定感とナルシストの連関性を感じてしまうときがしばしばあり、それを切りたいな、とは思う。

少なくとも自分は切りたいし、ナルシストではない健全な自己肯定感を持った人たちと付き合っていきたいと思う。

自分のことを自分で否定することにメリットは何もない。少しづつ自分を認めてあげていきたく、関心の高い部分が声なので、声からアプローチしていきたい。

この記事を書いた人

相羽涼太

相羽涼太

読書、手帳術、旅行記・訪問記・食レポ、ジム(運動、食事)、英語学習などを中心に記事を更新します。

インターネットの登場で、「考える」ことが減りがちな今こそ、自分なりの軸を持って、考え、発信していくことを大切にしたいと考えています。

SF(上位10位、2019年1月現在):慎重さ、収集心、個別化、責任感、自我、指令性、目的志向、自己確信、信念、学習欲