「聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥」の意味することに気づいた話〜質問力はなぜ重要か〜

諺の中で好きなものがいくつかあるが、そのうちの1つが「聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥」である。

私は、大人になるまでその意味するところに気づけなかった。しかし、今では「まさにその通りだな」と強く思っている。経験する中でその大切さに気づいてきた。

学生時代に生まれがちな勘違い

まず、学生時代は、この能力はあまり重要とされていない。もちろん、ある人の方が早く成長するのは今から考えれば分かるが、聞くことをしなくても別に問題は生じない。

問題集を買えばいいし、あるいは塾に通って有名な先生が分かりやすく教えてくれたりもする。

そして、教わったことを覚え、それを表現すれば、少なくともある程度の理解までは達成できてしまうのだ。

そして、それで結果を出し続けてしまうと、そこでプライドが生まれてしまう。そうなると、質問をすること自体が屈辱的な行為に思えてしまうのだ。

あるいは、日本人に総じて存在する文化の問題もある。それは、「恥」と「和」の文化だ。人に話しかけることは恥ずかしく感じてしまうし、和を重んじる日本人からすれば、1人ずっと質問している様子は疎ましく思われるかも、という恐怖を感じてしまうものである。

消極的な自分

そして、私自身、上に述べた勘違いをした1人である。さらにそもそもおとなしいタイプではあるので、質問するのには結構エネルギーが必要なタイプでもあった。

コミュニケーション能力の鬼のような人だったり、積極性の塊のような人であればあまり悩まないと思ったので、彼らが羨ましいと思ったこともしばしばあった。

実際、彼らは彼らで私が何とも思っていないようなことで悩んでいるので、結果として同じなのだが、それは当時の私には分からなかった。

質問すると楽しい

そんな私が質問することの楽しさに気づいたのは、社会人になってからだった。

その準備期間は、振り返ると大学時代にあった。お世話になっていた教授が「質問をしろ」と口酸っぱく言っていたので、無理矢理質問をするようにしていたのだ。

当時は、質問をすると、それを考えたり、実際に喋る前の緊張だったりして、質問をするエネルギーが相当高く、ヘトヘトになっていた。

しかし、こうして頑張って質問をしてみて、社会人になって「話を聞きに行く」ということを当時の上司と一緒にやってみて、アクティブに質問してみたとき、この「質問をする」ことの意義を知った。

質問したから理解が深くなることを身をもって体験したのだ。社会人4年目に差し掛かるところだったと思う。このときに、「聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥」の重要性を知ったのだ。

質問しないとつまらない

とはいえ、実際には、特に仕事上の場においては、「質問できない」という場も存在している。

そこでもあえて質問するというのは1つの手段であるとは思うが、私はそこまではできないし、しない。

そんなときに、全然面白くないのだ。その面白くなさにかえって衝撃を受けた。話を聞いていて、睡魔すら襲ってきた。

高校時代くらいに風の噂で聞いた話で、「灘高校の天才と呼ばれる人は、先生の講義を聞くのではなく、ずっと質疑応答していたらしく、他の生徒は困っていたものの、その彼は極めて優秀だった」ということを聞いたことがあった。

当時はそこに何の優秀性があるのかよく分からなかった。そこにようやく気づいた。時間が相当かかったが、その言いたいところは質問力にあったのだ。

この記事を書いた人

相羽涼太

相羽涼太

読書、手帳術、旅行記・訪問記・食レポ、ジム(運動、食事)、英語学習などを中心に記事を更新します。

インターネットの登場で、「考える」ことが減りがちな今こそ、自分なりの軸を持って、考え、発信していくことを大切にしたいと考えています。

SF(上位10位、2019年1月現在):慎重さ、収集心、個別化、責任感、自我、指令性、目的志向、自己確信、信念、学習欲