異端に憧れていた私

異端への憧れ

高校時代、何故だか分からないが、異端であることにひたすら憧れていました。

髪がボンバーヘッドだったり、常にハプニングに見舞われネタに欠かなかったり、面白いかはとにかくボケ続けていて、メンタルが最強の人がいたりして、彼らに憧れる自分がいました。

当時お笑いブームだったことがあり、頭がいいとか運動ができるとかそういうのはそこまで関心はなく、いわゆる「面白い奴」に憧れ、そういう意味での異端にひたすら憧れていました。

今振り返って考えると、目立ちたかったんだと思います。

普通な私への嫌悪感

そして、そういう人を見ていくにつれて、自分自身に取り柄がないように思えてきました。ただの真面目風人間だ、と思うようになってきてしまいました。実際私自身が真面目ではないですし、真面目というのは言葉として揶揄のニュアンスが含まれているように思ってしまい、あまり好きな言葉ではありません。

「自分なんて」という思いが日に日に広がっていってしまっていました。

だからこそ、その状態の進行を止めるためにちょっとした抵抗はしていました。高校時代は漫才を良く見ていて、周りはボケタイプとツッコミタイプに大別されていきました。当時の私はツッコミ役で、芸人さんの見よう見真似てセリフを真似て楽しんでいました。

また、たまたま機会があったときに、漫才でツッコミというものをやってみたりもしました。やってみてあんなに手応えのない経験は初めてだったと思います。同時に芸人さんの凄さを知るのには十分過ぎる経験でした。

向いていない方向の努力をしていたと思います。私にとっては、「人を笑顔にする」ことへのモチベーションは高くなかったのです。よく考えてみると、お笑いをよく見ていたのも、言葉の使い方が興味深く感じていたから見ていて、笑いを純粋に求めていた訳でもなかったのです。

異端という幻想

そこからしばらく異端への憧れを抱えつつも、自身の能力に絶望した日々が過ぎました。

そして時が過ぎ、私の中でエネルギーが戻ってきた頃、大学のゼミナールの中で、「変わり者集団」と言われる団体がありました。

他にも理由はありつつも、その「変わり者」と捉えられているところに興味を惹かれた部分もあり、入りました。そして、紆余曲折はありましたが、最終的にそこは心地良い空間になりました。

中に入ってみると、当然の事ながら奇妙なことが連日ある訳ではありません。実際、メンバーの個性はあるとは思いましたが、異端という程ではありませんでした。

そんな時に気づいたのです。異端なんてありません。あくまで同じ人間なのです。異端に見えるのは、イメージを膨らませてそう感じているだけだけだったのです。

皆既に特別な存在

「世界に一つだけの花」に、「ナンバーワンにならなくていい 元々特別なオンリーワン」

という有名な歌詞があります。

この曲はメガヒットしましたが、曲には「いやナンバーワンが重要だろ」を中心とした批判がしばしばありました。

真面目に議論すればこれは言葉の定義の問題ですが、それは置いておいて、私自身は歌詞に対して当初から共感していました。

他人を見ると本気で思います。皆特別な存在です。苦手な人はいますが、強みが全くない人はいません。ただ、「そうだとすれば、他人から見た自分もそうなのでは」と捉えられるようになってきました。

そう捉えてから、部分的には自分が認められるようになってきました。そうすると、不思議なもので、他人と自分のモノの見方の違いも分かってきます。自分を理解することが他者理解に繋がるなどと言われていますが、ようやくその意味することが少し分かってきました。

異端である必要はないし、第一、異端になろうとする必要すらないのです。

この記事を書いた人

相羽涼太

相羽涼太

読書、手帳術、旅行記・訪問記・食レポ、ジム(運動、食事)、英語学習などを中心に記事を更新します。

インターネットの登場で、「考える」ことが減りがちな今こそ、自分なりの軸を持って、考え、発信していくことを大切にしたいと考えています。

SF(上位10位、2019年1月現在):慎重さ、収集心、個別化、責任感、自我、指令性、目的志向、自己確信、信念、学習欲