自分を知ろうとしないと自分を好きにはなれない

自分が嫌いだった

私は私自身のことが嫌いでした。

「なぜ?」と聞かれると、その時々で思うことはありましたが、それは表向きに述べていた理由に過ぎません。その奥には、「なんとなく嫌い」と思う気持ちがありました。

なぜ「なんとなく嫌い」だったのかは当時は分かりませんでした。振り返ってみると、「自分の描いた未来の通りに現状行っていない」から嫌いだということだったのだと理解しています。

ここが問題でした。「自分の描いた未来」と述べましたが、それは自分が思う他人の羨ましいことの寄せ集めに過ぎなかったのです。

それは、1つは、自分ができないことを羨ましがっていましたが、他方でできないことも含まれていたということです。また、もう1つには私自身が「常識」に囚われていました。

例えば、社交パーティーで初対面でサッと会話できる人がいて、それに憧れました。しかし、それを私がするのには相当な努力がいるし、できたとしても時間がかかり過ぎてしまいます。また、常識は色々なところを縛っています。一番大きいのは学力のところでしょうか。劣等感があります。

それらもありますが、結局は、「自分が生きる意味」を自分で決めていなかったことが原因でした。

自分が好きだか嫌いだか分からない(無の感情)

原因が分かっても、そうすぐに改善できないのが、身につけてしまった癖の恐ろしいところです。

まずは「できないこと」を諦めることで、自分に対してフラットになりました。

例えば、先に述べたパーティーでの初対面対応ですが、何度やっても不用意に緊張してしまいます。不安な状態であるということなのでしょう。そのため、大人数のパーティーに自分から積極的に行くことは辞めました。少人数なら大丈夫なのですが、大人数であまりに知らない人が多くいる場は向いていませんでした。

このように、「苦手なことはやらない」を意識すると、嫌いという感情自体は薄れてきました。

自分の好きなところを見出す

無の感情に至ってからしばらくして、自分の好きなところも見出せるようになってきました。

例えば、同じコミュニケーションでいえば、私は人間観察は好きで、「この人はここが長所かな」などと得意なポイントを考えることが好きですし、誰に言われずとも息をするように分析しています。

そのため、私は、人のことを知っていくほどにコミュニケーションをすることが楽しくなってきます。

また、私個人は率直なコミュニケーションを好みます。一方的にベラベラと話されるのが苦手です。自分が話す時間が長めであるか、矢継ぎ早にやり取りする状態が一番心地良いと感じます。

このように部分的ではありながら、好きな部分を見出していっています。

他人の凄さを知るように自分の凄さを知る〜客観視〜

次のステップは、自分を客観視することです。

どうしても私は私自身のことを他人とは違うように扱ってしまいます。時に能力を過剰に見積もり、時に異様に自分を嫌悪します。

しかし、自分も他人も同じ人間です。そして、私は結構他人に対して凄さを見つけることは得意です。

それを自分にもできないかと考えました。自分が他人に対して凄さを感じるように、自分にも凄さがあるはずです。

人に聞いてみると、「物怖じしない姿勢、自己確信を持ちながらもしっかり準備するところ、存在感がある、分析力がある」などと言われたことがありました。

納得もしつつ、「そう思われているんだ」と思う点もありつつですが、これらを自認していっているところです。

自分の存在そのものを認める

ここからまだ先があります。それが「自分の存在そのものを認めている」段階です。しかし、まだここまでは至れていません。まだまだ自分の嫌な部分はあると感じてしまいます。

部分的には許容できてはきましたが、まだもう一歩です。

しかし、これまでの延長で地道にやっていくしかありません。それは、短所は長所の裏返しに過ぎないからです。そうであれば、短所は気にせず、長所としての良いところを頭にしっかり認識させていけばいいのです。

他人の場合は、友人であれば「まあ、あいつはああゆうところはあるけれど、こうだからなあ」となって短所を許容することがあります。

そんな感じから、自分を認められるようになっていきたいです。

この記事を書いた人

相羽涼太

相羽涼太

読書、手帳術、旅行記・訪問記・食レポ、ジム(運動、食事)、英語学習などを中心に記事を更新します。

インターネットの登場で、「考える」ことが減りがちな今こそ、自分なりの軸を持って、考え、発信していくことを大切にしたいと考えています。

SF(上位10位、2019年1月現在):慎重さ、収集心、個別化、責任感、自我、指令性、目的志向、自己確信、信念、学習欲