最低限だけあればいい
これまでは、お金に関してあまり関心がありませんでした。もちろん、生きるために必要な分はないと困ります。しかし、そこを越えれば、「最低限生活できればいいや」くらいに思っていました。
いくらお金を稼いだところで人の欲望に際限はないな、と思っていましたし、実際、何人か「お金こそが人生だ」と言わんばかりの方々とお会いして少し嫌気が指してしまったという面が大きかったです。
ある程度はあった方がいい
しかし、「最低限」となると、案外困ることもあります。「ある程度」は必要なんだな、という認識に変わってきました。
余裕率の大切さ
私自身、服で大好きなブランドがある訳ではないですし、家のインテリアに徹底的にこだわっている訳でもありません。
それでも、「最低限の生活」という考え方だと困ることが出てきました。それは、「欲しい」「したい」と思ったときにお金が原因で動けなくなる現象です。
例えば、友人経由で、素晴らしい賃貸マンションを見つけたとします。しかし、お金に余裕がないと、「引っ越そう」という決断が即決できなくなってしまうのです。そこの場で、「お金貯めるから1年待って」と伝えたら、その機会はまずなくなっているでしょう。
ここまでの例でなくても、数万円するモノであったりすると、結構躊躇してしまうことがしばしばあります。衝動買いは防げるとは思いますが、「欲しいのにお金を貯めるから数ヶ月待つ」という行為が生じると、機会喪失も増えてくるように考え方がシフトしてきました。
心が動いたときに、行動ができるだけの余裕はある程度持っておいた方がいいのでは、と思ったのです。
予想できない事象
また、私は買い物中毒という訳ではありませんが、暴走して買い物をしたことがかつてありました。
後から考えてみると、強いストレスを感じていたため、一時的な快楽という刺激を求めて、それが買い物に繋がっていたことに気がつきました。
ストレスゼロであるのが望ましいのかもしれませんが、成長・前進を求めることを重視している以上、それは無理であることに気づきました。
そして、「何も買うな」というのもまた極端です。人生には飛びつくようにパッと行動に移すのが大事な局面はどうしてもあります。そこでの第一歩は躊躇すべきではありません。
とはいっても、ストレスの自覚は相当難しいです。
そのため、「金を無駄に使うこともある」という前提で行動しておくことが、結果的に自分の精神衛生上望ましいことになると気づきました。
偏見に立ち向かう
こうして、お金の価値を少しずつ受け取ることができるようになってきました。
次に必要なことが、偏見に立ち向かうということです。これは、「稼ぐこと」に対し、卑しいと思っている価値観が影響を多いに与えています。
ただ、これが心の底から理解できるのは、そうは遠くない日ではないかな、と思っています。
側から見ると小さいことかもしれませんが、偏見は本人の中に染み込んでしまっていることなので、焦らずに少しずつ自分にある偏見を取り除いていくことが大事だと感じています。
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