暇な状態と充実した状態の振り返りから生き方のヒントを導く

暇だった時代

高校時代〜大学1年生までの間、常に「暇だなあ」と思っていました。

高校時代でいえば、部活動をやっていましたし、一応授業には出ていたので最低限の勉強はやってもいました。そう考えると、そこまで「時間がある」と感じるものでもない気もします。

大学時代も、1年生なので割と授業には出ていた気もしますし、アルバイトもしていました。

それでも、体感としてはひたすら暇だと感じていました。そしてその頃の記憶は思い出すのでさえ大変になっています。

充実していた時代

かえって、中学生時代と大学生後半は充実していました。

中学生時代で記憶に残っているのは、合唱コンクールと、生徒会選挙です。合唱コンクールは指揮者として練習し、結果に繋げた思い出と、生徒会は選挙で演説をしたことが思い出として記憶に強く残っています。

大学生はゼミ活動が記憶に残っています。ゼミ運営を担うことになるまでの過程が記憶に強く残っており、次に、実際のゼミの運営で時にぶつかりながらも最後は平和にまとめることができた記憶があります。

何が違ったのかといえば、「過程で苦しい思いは感じたこと」「それを乗り越えて「成功した」と自分で思える体験があること」でした。

正直、印象に残っているようなことは、成功よりも、その過程にあった苦しかったことを思い出すということでした。そして、「成功」については、あくまで「成功」と自分の中で思っていればいいということでした。

また、その分野は私がチームでリーダーシップを持って取り組んだことに偏っていることも気づきました。勉強・スポーツでも賞を貰ったりした経験はあったのですが、全くもって一番最初に思いつくものではなかったですし、そこまで記憶に残っていないものでした。

記憶から導く思考

過去を振り返ってみると、暇な状態の判断は「記憶に残っているか否か」で考えてみると分かりやすいと思いました。

辛かったこともあったけれども、それを乗り越えて充実していた記憶が思い出されるのです。そして、割と鮮明に思い出せることにも驚きました。

かえって、暇な状態のときは本当に当時何をしていたのかが思い出せません。この差の大きさにもまた驚きました。

そして、こういう振り返りをしてみてよかったのは、こうして暇な状態だったときを振り返って考えてみることで、将来から現在を振り返ったときに「何も覚えていないということにはなりたくない」と思えるようになったということです。

「今を生きる」という言葉があります。

私は大事な言葉であるとは思っていました。しかし、その意味しているところをしっかり自分の中で咀嚼できていませんでした。

私の中では、「暇」という軸を加えることで、今を生きることの大切さが浮かび上がってきました。

主体性を発揮する

また、充実した人生を送るために必要なキーワードも見えてきました。それは「主体性」です。

充実していた経験を思い出すと、自分が主体性を持って積極的に進めたことだったのです。「先生から言われ、それをやって褒められた」みたいなことは記憶の隅にあるだけだったのです。

そして不思議なもので、主体性を持って積極的に進めたことは、苦い経験であっても、それを想起したときに嫌な思いはしないのです。「そんなこともあったなあ」「大変だったんだよなあ」と客観視している自分がいるのです。

「苦しい状況にあっても、主体性さえ持っていれば、後々嫌な思いには変わる訳ではない」という私の中の記憶は、1つのヒントを与えてくれるような気がしています。

この記事を書いた人

相羽涼太

相羽涼太

読書、手帳術、旅行記・訪問記・食レポ、ジム(運動、食事)、英語学習などを中心に記事を更新します。

インターネットの登場で、「考える」ことが減りがちな今こそ、自分なりの軸を持って、考え、発信していくことを大切にしたいと考えています。

SF(上位10位、2019年1月現在):慎重さ、収集心、個別化、責任感、自我、指令性、目的志向、自己確信、信念、学習欲