寂しいという不可解な感情
暇だな〜と感じる時間が長かったり、逆に忙しい状態にあるときのふとした時間に、「寂しい」という感情をふと感じることがしばしばあります。
この「寂しい」という感情は非常に厄介だと思っていました。
「人に会いたいな」と思う割に、やりとりをしていたり、実際会うとなると「面倒だな」と思ったりすることもしばしばです。
また、会ったあとは「会って良かった」と思うこともあれば、「時間の無駄だったな」と思うこともあり、よく分かりませんでした。
そして、時間が経過すると感情が消えていることもあります。その度に、この感情は何なのだろうと思っていました。
刺激への反動
また、人と会ったとき、その時が楽しければ楽しいほどに、終わった後に寂しさを感じます。
楽しかったという非日常のような空間から、急に現実に戻ってくると寂しさを感じてしまうようです。
しかし、そんなときに、実際に直近にもう1度機会があったりすると、今度はただ疲れてしまいます。
もちろん、こちらについては、急に刺激を受けたので、それへの反動のような部分もあると思っています。種類は違いますが、スイーツを食べた後、1〜2時間しか食べていないのにまた求めることと同じような感覚が個人的にはしています。
とはいえ、立ち込めては消える「寂しい」という感情がよく分からなくなりました。
寂しさの解消ー不安と向き合う
これまで述べてきたように、「なぜ人は寂しいと思うのか」を考えてみると、余計によく分からなくなっていました。
それは、この問立てが間違っていたからだと気づきました。「寂しい」という言葉は表に出た感情ではあるますが、アプローチするのはそこではありませんでした。
嫌な気持ちを抱いたり、不安だと感じたときに、癒して欲しいと思うから、「寂しい」という言葉になるのでした。
そして、私がなぜ寂しさを解消できなかったのかといえば、かつての私は、人と会っても、自分の思っていることを伝えることを躊躇していたからでした。そもそも感情面について人に相談することが苦手で、弱みを見せるように思っていたのも大きいです。
だからこそ、当然に悩みを相談することで得る癒しの効果を感じること自体ができませんでした。「人に会いたい」と思っていて、会ったのに成果がマチマチだったのは、そこが大きかったと思います。
かつて、人と会ったときに、「楽しかった。行って良かった。」と思っても、一時的なものでした。自分の寂しさの正体には向き合っていないので、寂しさは解消されていなかったからこそ、度々そんな感情を感じていたのだと今になっては思います。
対応策
原因が理解できてきたので、対応をしていきます。2つを意識するようにしました。
外に出すこと
まずは外に出すことです。
とはいえ、最初から友人に相談なんてことはできませんので、まずは日記に気持ちを書くようにしました。
私は割と、「悔しい」「悲しい」といった感情を自分の中で押し殺そうとする癖があります。しかし、それでは辛さを自分に蓄積させているので、いつか爆発してしまうリスクが高いです。
まずは日記に少しずつ書いてみると、効果を少しずつ感じるようになりました。主観的な悩みが客観視できるようになったと感じています。
そして、自分の悩みを人に話してみると、気持ちがラクになります。「話すだけでラクになる」とは言われていますが、本当にラクになるので不思議なものです。理屈が分からずこれまではイマイチ納得できなかったのですが、話す中で自分の中で整理をつけようと無意識が働くからラクになってくるのだと思っています。
共感の効果を知る
これまでの私は、共感の効果についてよく理解できていませんでした。論理的に説明し、理解し、理解されるものだと勘違いをしていました。
しかし、人間はそんなに理性的ではありません。むしろ感情の生き物でした。これは社会人生活を送ってみて分かってきたことです。
そして、「寂しい」とか悩みを打ち明けるとき、「うんうん」と頷いてくれるだけで安心することを知りました。自分の感情を認めてくれてくれるということの大切さをそのときに知りました。
承認欲求は本能です。寄り添い・共感することで得られるものが多いことを段々と理解してきました。
「共感」は大事でした。共感し、共感されることで、お互いが幸せになることができるという可能性を信じることができるようになってきました。
こうやって、少しずつ思考がポジティブになっていければなと思っています。
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