つまらないと感じた学生時代の勉強から得た教訓

学生時代の勉強が面白くありませんでした。

勉強をちゃんとやっていなかったので、後悔している面はあるのですが、「学生時代に戻りたいか?」と言われると「もうお腹いっぱいです」となります。

他方で、学生時代の勉強が基礎として大切なことは理解できます。学校である程度学んでいるからこそ、社会で高度なことをする土台になっているとも思います。

なぜ大切なことなのに面白くなかったのか。

私の中の理由は、そこに自身の「考察」がなかったからだと結論付けました。

学校の勉強が楽しくなかった

残念ながら私は、学校の勉強を「楽しい」と感じることができずに学生生活を終えました。

この点、周りの友達は勉強自体を楽しんでいる人もそれなりにいましたし、テストの点数や順位を競い合ったりもしていて、その競争を楽しんでいるようにも見えました。彼らはテストが終わるや否や丸付けをして、点数争いをしていました。しかし、私は、それの何が楽しいかが最後まで分かりませんでした。

自分が普通でなく、変わった人でないかと思い悩んでいました。当時は、普通であることを切に望んでいました。

楽しくなかったと思っていたのは、3つの理由がありました。

知識教育

1つ目の理由は、知識を重視する学校教育であったからです。もちろん、文章題のようなものもありましたが、結局は知ったか知らないかが問われているんだな、と捉えていました。

そして、「それを知ったところで何になるんだ」と思うようになってしまいました。

今から振り返ってみれば、当時、「議論する」とか「文章を書く」とかをやっていれば、アウトプットをするためにはインプットが必要であることが嫌でも分かるので、そうすると知識が必要になり、価値を見出せるようにはなったとは思います。

学生時代は、そこには至れませんでした。

環境要因

2つ目の理由は、環境要因です。

私自身、勉強が楽しかったときはあります。それは、中学生時代の塾での勉強でした。今から考えると何に充実感を感じていたのかは分かりませんが、先生とやりとりをするのが好きでした。おそらく、その先生だけは私を「学生の1人」ではなく「1人の人間」として接してくれたからだと思っています。

そんな自分にとって大切な環境を貪欲に求めても良かったとは思います。環境要因は非常に重要です。

競争概念

3つ目の理由が、そもそも、この「競争」という概念も私には合わなかったということです。

もちろん、テストで良い点数を取ることが楽しかった時期はありました。しかし、その欲求に際限がないことにも早々に気づいてしまったのです。

生まれた地区で良い成績を収めるとします。連続して良い点数をとっていたりすると嬉しいかもしれません。しかし、その後に待っているのは挫折です。都道府県でのテストなど、少し範囲を広げるだけで、簡単に、相対的な実力低下を感じます。

自分の周りではよかったかもしれませんが、全国区でみれば、まだまだなのです。そして、仮に日本中でも高い成績を収めていたとしても、世界のトップ層と比べたら大したことがないと分かります。

この終わりのない「競争」の何が楽しいのかが分かりませんでした。私はそもそも競争の考え方が苦手ではあります。人にはそれぞれ良いところがあり、それぞれに活躍できるフィールドがあると思っているからです。

それにも関わらず、1つの尺度で人間の出来・不出来を決めているように感じる教育制度が嫌だったのだと思います。

好きな科目は何?

そんな「学校の勉強」が好きではなかったからこそ、困った質問があります。

それが、「好きな科目は何?」です。この答えが非常に難しいのです。「好き=得意」のような公式があるので、回答に窮しました。

ちなみに、回答する場合は、「歴史・地理」という場合が多いです。ただ、堂々と正面切ってはいえませんでした。それは好きではあるが、テストで点を取れる訳ではなかったからです。

よく考えると、とても回答はできませんが、国語の評論文については、好きな瞬間がしばしばありました。

設問を解くのは好きではありませんでしたが、それに関連して発想を膨らませて、それを雑談するのは好きでした。

ただ、膨らませてしまうからこそ、設問を解くのは苦手でした。当時、現代文に書かれている正解が全く納得できなくて、むしろ自分の答えの方がいいだろ、と思ったこともしばしばあったのですが、それは、今考えると、筆者の考えをベースに勝手に考察を膨らませていたからでした。

問題への正解を考えると、それは当然不正解ですね。

解釈が楽しい

勉強へのかつての苦手意識を述べたのですが、そこから分かることがあります。

私にとって楽しかったのは、解釈であるということです。

高校時代に唯一楽しかった授業がありました。それは倫理学に関することでした。その時間は授業ではなく、大学を先取って議論する会でした。

誰を扱ったのかは覚えていないのですが、「昔の人は深いこと言ってるんだな」と思ったことだけは深く覚えています。

社会人になってからも人の名前の覚えは悪いので、そもそも歴史の事件を覚えることや特に世界史でいう外国人の名前を覚えるのは苦手です。地理も地名や国旗名暗記は全然できませんでした。

ただ、歴史の学びを現代に生かすという視点で考えることは圧倒的に楽しいです。地理も同様で、地形の利をどう生かしていくべきか、を考えることは楽しいのです。

先日、Youtubeをふと見ていたときに、面白いコンテンツがありました。

サピエンス全史

銃・病原菌・鉄

本には手が伸びなかったので、興味深く拝聴しました。

動画を見て思ったのは、私としてはより良く生きるために先人の知恵を借りたいだけなので、大学の論壇の場でなければ、エビデンスは簡単で良く、本は薄くて良いと思っていたから動画は手が伸びなかったんだなと思いました。

これからに活かすために

私は本当に極端な人間で、興味ないことは全く興味ないです。それは、社会人になって痛感しました。

やりたくないこともやりますが、その時に異常に手が動かないのです。その点、学生時代に卒なく勉強が出来た人の多くは、やりたくない(と思っていると見受けられること)も早々に形にします。

それを見たとき、「やりたいと思っていないことをやると、自分は人よりパフォーマンスが低くなる」ことに気づきました。過去の学生時代の勉強への苦手意識とも繋がりました。

だからこそ、私が働く上では、

・自分の心が動くことをやること

・議論する環境

を一貫した軸として求めていきたいと思っています。今は1つの職場だけで過ごす時代でもなくなってきているので、思い悩んだこともありましたが、自分軸に沿って生きていきます。

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この記事を書いた人

相羽涼太

相羽涼太

読書、手帳術、旅行記・訪問記・食レポ、ジム(運動、食事)、英語学習などを中心に記事を更新します。

インターネットの登場で、「考える」ことが減りがちな今こそ、自分なりの軸を持って、考え、発信していくことを大切にしたいと考えています。

SF(上位10位、2019年1月現在):慎重さ、収集心、個別化、責任感、自我、指令性、目的志向、自己確信、信念、学習欲