情報を得ることは大事〜あらゆることに付きまとう解釈の問題〜

情報が多い現代社会が嫌でした。

TVはもちろん、LINEニュースなどで、芸能ニュースがドンドン飛び込んできて、それを無意識に見ていました。そして、それを見て疲れて、嫌気がさしていました。

しかし、それは解釈の問題でした。まず、人間にとって、情報を得ることが大切であること自体は変わっていません。そして、ネットにより、良質な情報を得られる速度も速めることができるようにもなりました。

結局のところ、情報の多い現在の状況をチャンスと捉えられるかが重要なのです。

インターネット登場前の情報の価値の高さ

インターネットが登場してくるまでは、情報自体の価値が高かったです。

TVやラジオなどのマスメディアが登場してくるまでは、一般の市民は情報を知る機会すら与えられませんでした。

マスメディアが登場することで、一般市民は情報を知る機会が与えられるようになりました。ただし、それは一方的に情報を受け取るだけでした。

だからこそ、マスメディアから得られる情報は貴重なものでした。世間でされる雑談の「元ネタ」は基本マスメディアから得られる情報でした。

現代から振り返れば、いわゆる「フェイクニュース」のように事実が歪められている事案も存在はしていたものの、それに気づく機会を得ることはできませんでした。

その後、インターネットが登場し、ブログ・動画などのコンテンツが登場すると、誰もが情報を発信でき、情報を受け取ることができるようになりました。かつて権力を持っていたマスメディアは、相対的に力を下げることになりました。

かつてスキャンダルとして権力と戦うことができたマスメディアは、追われる側になる局面さえ出てきています。

情報のインフレ

インターネット出現後、情報量は加速度的に増えました。今や、得たい情報を無料で得ることが非常に簡単になりました。

学術的なことであったとしても、知りたいことがあったら最初に図書館に行く必要もなくなりました。Googleに検索したい単語を入力すればそれで分かることがかなり増えました。

インプットの仕方も多様になりました。Youtubeもエンタメに限定されることはなくなり、専門分野に関しても発信されるようになってきました。

ビジネス書を読まなくても、動画を見れば大体わかるようになっています。

情報が邪魔

そうなってくると、生活する上で、多くの情報に接せざるを得なくなってしまいます。そして、その状態に対して極めて否定的な考え方を持っていました。

貴重な情報が得られる場合もありますが、ジャンクの情報に接する機会が増えたのが嫌でした。

典型例が芸能人の不倫ニュースなどで、たとえ私自身興味がなかったとしても、LINEをやっている限りLINEニュースで情報は入ってきたりしてくるのです。Facebookでも広告で投稿の間に挟まってきます。

そして、ちょっと気になってしまい、twitterなどを見てしまうと、否が応でもたくさんの情報に接することになります。

しかし、そうした類の情報が役に立った場面はもしかしたらあったのかもしれませんが、ほとんどありません。

にも関わらず、色々な情報に引っ張られました。

情報は大事

ここまで考えていくと、情報の価値を疑いたくなります。それでも、情報は大事なのです。人間は、正しい情報を得て行動しないとしっかり間違えてしまうのです。

これまでは、情報を得たい場合、人づてで辿り、最先端の知識を持っている者に辿りつく必要がありました。今でもその側面はありますが、その側面でさえ、SNSの緩やかな繋がりがそれを容易にしました。

ただ、その注意点は容易にはなったものの、結局人間が行動することが必要だということです。行動していくことで、ノイズでない情報が得られるようになるのです。

情報の価値はどんどん下がっていると言われます。実際にそれは真実でしょう。とはいえ、無料で配信されている情報の中には、有料で発信されている情報よりも有益なものも多いです。

だからこそ、玉石混交の中で大事な情報を見つけることが大切になってきているのです。

なぜ情報が嫌だったのか

現代は、誰しもが偉人レベルの知見を得られることができやすい土壌になりました。それは普通に言えばいいことのはずです。

それでも何故嫌悪感があったのでしょうか。

それは、歴史が教えてくれます。かつて貴族と平民は明確に分けられていました。それは、貴族にとって、平民は変に知識がない方がコントロールしやすいからです。

そして、情報を知らなければ、リスクにも無自覚であるので、不安を感じる機会も減ります。その意味で、思考はシンプルになります。その観点でいえば、幸せに過ごせる人が多いこともまた事実です。

しかし、これまでの人類の発展を踏まえ、さらに一歩を踏み出すためには、正しい知見を得ていくことが必要なのもまた、事実です。

とはいえ、それは面倒な作業に他なりません。私の嫌悪感は、その面倒さを放棄したかったということだと思います。

人間は、面倒さを感じることが多いですが、そこを乗り越える工夫が必要です。そして、その工夫は解釈にあります。

「技術の発展を喜び、技術を利用して更なる一歩を踏もうとする」のか、それとも、「技術の発展を嫌い、その習得を面倒に感じ、どんどん周りから追い抜かれるのか」という岐路に立っているように思えます。

私は、自分という人間が生きた価値が持ちたいと感じています。その観点であれば、その面倒さから逃げてはいけなかったのです。

そして逃げていたと思っていたからこそ、情報のインフレ化に嫌気が刺しつつ、罪悪感も同時に持っていたのです。

この記事を書いた人

相羽涼太

相羽涼太

読書、手帳術、旅行記・訪問記・食レポ、ジム(運動、食事)、英語学習などを中心に記事を更新します。

インターネットの登場で、「考える」ことが減りがちな今こそ、自分なりの軸を持って、考え、発信していくことを大切にしたいと考えています。

SF(上位10位、2019年1月現在):慎重さ、収集心、個別化、責任感、自我、指令性、目的志向、自己確信、信念、学習欲