クールではない自分を認めること

頭がキレる人になろうとしていた

私は、「頭がキレる人」になろうとしていました。

場をズバッと締めるような言葉を放ち、一言の存在感が凄い人に憧れました。

諦めの悪い人への固定観念

それとは逆に、「諦めの悪い人」というのは、カッコ悪いと思ってきました。

良くいえば、「どんな逆境でも諦めない人」となるのですが、幼少期から「never give upの精神が大事だ」などとよく言われたりしたからこそ、かえって意地汚いイメージを感じてしまっていました。

泥臭く生きるのではなく、スマートに生きたいな、と思っていました。

スマートでないからカッコいい

しかし、時間が経過して、今は考え方が変わってきました。

「泥臭くてなんぼだ」と思えるようになってきたのです。

「執念」と言ってしまうと、悪いニュアンスがあるようにも見えるが、「何としてもなし遂げる」という情熱と想いは非常に大切だと、今では思えます。

他の人からどう思われているかは完全に把握はできませんが、私はどうもポーカーフェイスに見えるようです。

そして、そうであるならクールにスマートにいるのが理想型なのかな、と無意識下で思っていたのだろうと思います。

しかし、それはやってみても出来ませんでした。一応できるのですが、それを演じると、「ただの無害な人」に成り下がっていました。それは、私が幼少期から無意識に反復してきたことからは少し外れた方向性だったのでした。

また、批判されるのが嫌だったので、それならば無難な方がいいかな、とも思っていました。

とはいえ、実際の私は、全く持ってクールではなく、内にある情熱を押し出すことで魅力が出てくる型だったのです。

よく考えれば、「臥薪嘗胆」とか「雑草魂」とかそういう言葉が好きで、元々意地丸出しでした。それでも、自覚しないと分からないものです。

倒れない奴が強い

だからこそ、クールで頭の良いようなプレーはできません。分析的でスパッと一言で締めませんし、頭が良い人がよくやる、空中戦みたいなこともしません。

がっつり地上戦を好みますし、むちゃくちゃ泥臭いなあと思うときもあります。それでも、諦めない奴が強いと信じています。

そう考えるようになってきたとき、自分のことを少しだけ認められた気がしました。

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この記事を書いた人

相羽涼太

相羽涼太

読書、手帳術、旅行記・訪問記・食レポ、ジム(運動、食事)、英語学習などを中心に記事を更新します。

インターネットの登場で、「考える」ことが減りがちな今こそ、自分なりの軸を持って、考え、発信していくことを大切にしたいと考えています。

SF(上位10位、2019年1月現在):慎重さ、収集心、個別化、責任感、自我、指令性、目的志向、自己確信、信念、学習欲