かつての私は、人と比べては、できないところを見つけ、毎回絶望していました。
人との比較の観点は、諸刃の剣で、しっかり自己分析に繋げていかないと、自分を痛めつけてしまいます。
あくまで自分は自分で良かったのです。
比較をしない
かつての私は、人と比較しては絶望していました。人の意見は参考にはすべきですが、私の場合、人との比較に拘ることは強みに繋がりません。
では、何をすべきだったかといえば、自己分析が不足していました。他人の振る舞いなどを参考にしながら、分析した上での対応を考え、更に自己研鑽していくことが不足していました。
例えば、私の苦手なことをいくつか述べていきます。
・第一歩、初めてのことに対する対応力が低い
・初対面が苦手
・周りの雰囲気を明るく、暖かく柔らかいコミュニケーションを取ることができない。
しかし、それは他者と比較した観点であり、これだけでは比較であり、自分のできなさに絶望するのみです。そこからもう一歩踏み出すことが必要でした。
・第一歩、初めてのことに対する対応力が低い
←情報不足により一歩が踏み出せない。人より情報量を要することを自覚する。
・初対面が苦手
←初対面に強みはないので、場面も積極的に設ける必要がない。必要な場合は、準備するか、社交性の強い人間に仲介してもらう。
・周りの雰囲気を明るく、暖かく柔らかいコミュニケーションを取ることができない。
←対立を厭わないタイプで、率直なコミュニケーションを取るのが好きなのでこれは無理。友人として大切にしよう。
などと対策を考えることで、安心に繋がります。そして、生き方で面白いのはテストや入試と異なり、他人の助けを借りても問題ないということです。
自分だけで深い思考を繰り広げることや、学問的探究心がそこまで強くない場合、入試・テストという場所ではそこまで強くはないです。
しかし、それもただの一面です。人生という土台では負けている訳ではないし、そこは平等に機会があり、平等に各々に才能の種が与えられているのです。
強み同士の衝突を知る
比較をすることを弱め、自分へのベクトルを強めることで、自分の強みが生かされていないことに敏感になりました。
強み同士が衝突し、強みを生かしきれていない事例もあることが分かりました。
例えば私は、「自分が好きであることを認めると、ナルシストと思われるので自分に蓋をしている」面があります。
しかし、恥ずかしながら、私の資質からいえば、自分らしさを持っていて、美意識は強くてもいいのです。むしろ傾向としては、そこが強い方が私らしさが出る可能性が高いのです。
この記事を読んだら、もっと自分を肯定する生き方でいいのかな、と思いました。
恐らくここは、他者のニーズを先読みし、配慮する個別化と衝突しており、個別化を優先させてしまっていたため、苦しさ・モヤモヤ感を感じていたように思います。
あくまで他者のニーズを感じ取るのに使うものであり、それを感じ取ったところで、自分に蓋をする必要はなかったのです。
それぞれに才能の種は与えられていますが、その種を成長させ、開花させるのは、自分です。
そして、自分で自分の首を締めてしまっていることに気づくことで、また1つ前に進めると信じています。