ボイストレーニング。
私は特段劇をする俳優さんでもないですし、歌手でもありません。
そして、「カラオケで上手いと言われたい」想いも、ありはしますが、そもそもそこまでカラオケに行く機会は多くないです。
それでも好きだからやりたいとなるのです。理由を論理的には説明できません。
ボイトレをやっていると、学ぶ中で分かってきたことが3つあります。これらを紹介していきます。
我流でやることのデメリットを知った
ボイトレをして分かってきたことの1つ目は、我流でやることのデメリットを知ったことです。
歌については、我流も何も学生時代にカラオケによく行っては歌っていたというだけですが、当時は、歌を聞き、好きな歌だったら歌ってみて…を繰り返していただけでした。
好きだったので、「好きなことをやる」という意味では良かったと思います。ただ、そこに成長の限界があったのは、そこには理論も何もなかったという点が最大の問題点でした。
幼児期においては、外国語学習でよく言われますが、「見聞きして覚える」ことができます。実際、幼少期に外国で生活していて、その国の言葉を話せる人は、分構造・文法を日本語で説明することはできませんが、文章の文法的ミスを感覚で見極めることができます。
しかし、中学生以降であれば、理論を知り、それを習得する中で学習レベルを上げていくことが必要でした。好きでやっていたとしても、「意図的な練習」を挟まないと限界があるのです。
例えば、今練習している歌が、音程を間違えて記憶しており、それが癖になっていたことを指摘されました。
しかし、それが分からないのです。私は、「どう間違えていたんですか?」と聞きました。そのくらい、無意識は怖いものです。
ここあたりに我流を貫くことのデメリットを感じました。
身体を動かすことの大切さを再認識した
ボイトレをして分かってきたことの2つ目は、身体を動かすことの大切さを再認識したことです。声を出すこともその一環ですが、社会人になってから「身体を動かすこと」の大切さを日に日に実感しています。
声についていえば、先日、「ストレッチをしてから声を出す」ことにトライしました。そうすると、声が出るようになりました。
ここは運動の大切さと同様ですが、現代の生活では、座る時間が圧倒的に増えています。しかし、人間は動くことをデフォルトとした生物形態です。
元々ボソボソ声だったので、意図的訓練を積んでいるところなのですが、そこを考えても、結局は、「身体を動かす」ということが全ての根幹にあると感じるのです。
1曲をマスターすること
ボイトレをして分かってきたことの3つ目は、1つを徹底的に練習し、身につけることが大切であることを知ったことです。
現在、ボイトレにおいては、「くるみ(Mr.children)」のみを歌って練習しています。練習しているといっても、1番の約1分程のところのみです。
それでも、1曲の1番だけでも、色々なテクニックを用いていることを知ることができました。それと同時に、カラクリが分かっても、それを実際やることのハードルの高さも知ることができました。
何より学びになったのが、「1つを極めること」の大切さです。
・単調であっても、ひたすら同じところを練習すること。
・無意識でできるようになるまで続けること。
その大切さを普段の行動ではないがしろにしていたのではないか、と気づいたのです。
幼い頃、初めてスポーツをするときは、飽きずに同じことを続けていたはずです。私は水泳をやっていたので、始めは顔を水につけるだけなのに、相当の時間をかけてようやくできるようになったのでした。継続の大切さを改めて学びました。
編集後記〜褒められたら嬉しい〜
先日カラオケに行きました。
その際、私が歌った後、「君のハイトーンボイスが好きなんだよねー」という趣旨のことを言われました。
嬉しかったです。
以前だったら、この「嬉しい」という気持ちは自分の中で内に秘めていました。でももうそれは辞めます。「嬉しいと思ったこと」を大切にしよう、と思うようになりました。
また、カラオケに行くと、なぜ私が声・歌に関心があるのかが少し見えてきました。カラオケでいえば、自分が歌っている瞬間が好きなことを知りました。
振り返れば、他でも何でもそうでした。スポーツやライブなど、私はあまり観戦することに興味がなく、自分でやることへの興味の方が強いのです。
かつて、世間の関心は強いのに、スポーツなどを観戦することに関心がない自分を嫌だと感じていました。
しかし、そういう人もいてもいいのです。自分の好きなことも見極め、個性を活かして自分の得意で生きていきたいと今は思っています。