組織の一員として生きることに対し、便利さを感じることもありますが、不便さを感じることもしばしばあります。
社会に出てから、人との考え方の違いが思っている以上に大きいことに嫌というほど直面してきましたが、中には、考え方の根本が理解できず、混乱することもしばしばありました。
そんな混乱の1つに対する理解が大きく深まりました。それは、「期待」に関する捉え方でした。
典型的な会社員の成功とは何か
「自分らしく生きるとは何か」と考えるとき、少なくない割合の方の生き方に対し、反発を覚える自分がいました。
人の発言を受け入れ過ぎて、苦しそうに見える人が多くいるように感じました。しかし、苦しみながらもその生き方を貫徹して過ごしていっています。
私には、その考え方がどう来ているのかが理解できませんでした。
そんな中で、本から個人的な名言に出会いました。
「優秀な人は、親の期待にも応えてきた人です。中学受験に始まって、大学もいいところに入って、なんとなくまわりが求めるようないい会社に入って、会社に入っても、今度は自分がやりたいことではなくて、上司の期待に答える。すると、見事に期待に応えられるから、どんどん出世のラインに乗れます。もともと優秀だから、エリート街道をひた走ることができるのです。」(「これからの会社員の教科書」(田端信太郎著))
そして、その後の記載も読むと、トップになったとしても、大企業の社長であれば、今度は株主や社会からの期待に応えていき、一生を過ごせるという趣旨の記載があります。
極めて納得しました。いわゆる「エリート」という言葉の意味が分かりやすく書かれていると感じました。
自分の中で、「なぜ上司だけを見ていて、自己犠牲をしているんだ」と思っていることがありました。それでも、他人なので、その生き方に干渉することはできません。
せめて考え方を理解できないと気持ち悪く感じていました。しかし、この言葉を聞くと、一定数の方の行動原理がかなり理解できると感じました。期待に対し、極めて忠実なのです。
エリートの凄さ
ある先輩が、「上司の〇〇さんが××って言ってきて大変なんだよ〜」と言っていたことがありました。
その×という業務は、上司の〇〇さんの思い付きで、どう考えてもイケてないように私には思えたし、その先輩も思っていたようでありました。
しかし、その先輩は面倒には感じつつも、嬉しそうであったのが強く印象に残っていました。それは、それを断って時間的・精神的な余裕を持つよりも、それをやることで、〇〇さんが幸せになるならそれの方が望ましいという考え方だったのだと、今振り返ると思います。
そして、その先輩は、何とか形にはしました。その形は私にとってはいびつに見えましたが、少なくともそのプロジェクトに関わった人たちの満足度は高いものでした。
何より、その自己犠牲の精神は凄いです。理解できると分かりやすく、しっかり「期待」に応えたのです。
そして、逆に私にはそれは出来ないと直感的に思いました。心が受け付けないのです。
エリートは諦めた
個人的には、組織に全て捧げる考え方に違和感を持っていたのですが、それが当人にとって幸せなら、それは尊重すべき考え方です。
また、社会としても、変わるための予兆が見えなくもないですが、まだまだ一定数がその生き方をすることが求められているとは感じます。
そして、「エリート」の話を知ると、自分は周りの期待の大きさが大きくなるのがしんどくなり、期待に応えることを断念せざるを得なくなった人間だったことを思い出しました。
期待に応えるのがしんどく感じて、結果的に自分をずっと追い詰めていました。
だからこそ、私はそれは辛いし、もう出来ません。私はその生き方を変える必要性に迫られたのでした。
自分らしく生きること
体感値に過ぎないですが、日本はまだまだエリート大国です。そして、それらエリートからしたら、私がここでいう「エリート」の考え方が理解できなかったように、私は頭のおかしい人間と捉えられることもしばしばあります。
しかし、私は異なる道を行くことしかできません。自分の軸に従い、後悔のない人生を生き、今を楽しく生きることを決めたのです。
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