帰省時のコミュニケーションで苦戦した話

正月休みなので、例年の恒例行事として実家に帰省しました。ただ、正直この帰省タスクは義務感が強く、楽しくありません。

今年についても同様ですが、自分の心を見つめてみると、その際に交わした会話で印象的なことがいくつかあることに気づきました。

自分の「想い」がどこにあるのか、ヒントがそこにありそうです。

人の顔色を伺う人生を辞めて、コミュニケーションを取り合える世の中でありたいと思う自分を見つけました。

「干渉」しない世界がいい

私は、「〇〇すべき・した方がいい」と散々言われて育ってきました。

言われることがあまりに多すぎるため、言われたことをどのくらい守っているかと言われると、半分を大いに下回る比率だと思われます。

これも、幼い頃は気になりませんでしたが、中・高校生ともなると、気になります。私は、指示通りこなす機械ではないからこそ、要求をすべて満たすことは当然のごとくできません。

だからこそ、色々と言われ続ける生活は幸せではありませんでした。今考えると、それが「嫌だ」と思っていたから、苦しんでいたのでした。

しかし、その違和感に当時は気づけませんでした。

とはいえ、行動は変わっていきました。私の中で変わったことはといえば、コミュニケーションの中でも、家の中で「話す」ことをしなくなっていきました。

聞かれたことに答えたとしても、「ならこうした方がいいよ」と言われるので、コミュニケーションに意味を感じなくなりました。

よく「煩いなあ」と思っていました。「だから何も言いたくなくなるんだ」と。そうして、言葉を言わない人間ができあがりました。

帰省する度に、その苦い思い出を想起することも嫌なところの1つです。同時に、「そんな日々はもう過ごさない」という想いも芽生えます。

マウントを取ることのない世の中に

帰省時にされた印象的な話として、親の現在の仕事に関して、「周りができないと思う」という不満についての話をしていました。

自分はできるのに、周りがやらないことに対して不満があるとのことでした。別に自分がやりたいことやれるなら、周りのことなんて放っておけばいいのでは、とも思ったのですが、それは正確な表現ではなく、自分の軸で他人を評価している話を聞いて、自分の息が苦しくなり、悲しく感じたところが大きかったのだと思います。

この話にはいよいよ意味がないのです。人によって得意は違いますし、「この部分ではこの人が凄い」とかそれぞれあるはずです。その他にも言えることはあります。

多分、そうした話に振ったところで、「でも…」が出てくるから話すことを放棄しています。ただ、そういう考え方をすると、自分が辛くないですか、とは思うのです。

マウントを取り合ったり、批判し合うのではなく、お互いがお互いを認め合うような暖かい世界でありたいし、そこに私はいたいです。

機嫌を取ることも大事?

また、話を聞かれた範囲でやりとりをしていたときに、突如として、私の仕事のやり方に対して「機嫌取りも必要だよ」と言われました。

別に「〇〇して欲しい」と要求することは全く問題ないのですが、こちらの言い分を全く持って否定してくるのには困りました。

意見を戦うつもりはないのに否定がくるので、「うるさいなあ」と感じ、辞めて欲しかったです。

私が取っているコミュニケーションの中で、一番苦戦しているのが親とのコミュニケーションです。場面によって、他のコミュニケーションで苦戦することはありますが、そうだとしでもその辛さも一時的なものです。

しかし、こういう経験をしているからこそ、コミュニケーションに関する関心が高かったんだ、という気づきにも繋がりました。過去から考えられることはまだまだありそうです。

この記事を書いた人

相羽涼太

相羽涼太

読書、手帳術、旅行記・訪問記・食レポ、ジム(運動、食事)、英語学習などを中心に記事を更新します。

インターネットの登場で、「考える」ことが減りがちな今こそ、自分なりの軸を持って、考え、発信していくことを大切にしたいと考えています。

SF(上位10位、2019年1月現在):慎重さ、収集心、個別化、責任感、自我、指令性、目的志向、自己確信、信念、学習欲