夢中になることも大切にしようと思った話。

ぶっ続けてやることも1つの時間の使い方であることを知りました。

ぶっ続けが原則だったかつての私

かつての私は、タスクを一つ終わるまでやり続けることを基本にしていました。

今思えば、がむしゃらな方法で、ただただぶっ続けでやり続けていました。

ただ、この方針だと、いくつかの案件が降り注ぐとキツくなってしまうので、非常に不安定な生活を送っていました。

精神をすり減らす局面も多く、これではないな、とぼんやり思っていました。

毎日コンスタントにやる」を基本に据える

そのため、方針を変え、今は、「毎日コンスタントに進める」ことを軸にしています。

依頼を受けても、締め切りまでにしっかり間に合わせれば問題ないというスタンスで、一気にやることはせず、複数日をかけて、少しずつ進めます。

これにより、自分のパフォーマンスは安定しやすくなりました。

ただし、すべてをその方法でしてしまうと、「タスクをこなしている」感を強く感じることがたまにあるという違和感も持っていました。

夢中になってもいい

先日、4〜5時間くらい続けて同じタスクをこなすことを久しぶりにしました。ルーティンを壊し、他のタスクを犠牲にしてやり続けてみました。

もちろん、1時間に1回くらいトイレ休憩を入れたりしているので、厳密な意味での「ぶっ続け」ではないですが、ずっと同じことを考え抜いていたので、集中は切らしていなかったです。

タスクは分散することを基本として、毎日コツコツとやっていくスタンスが基本とするとき、しばしば「一気にやりたい」という気持ちを抑えているときがあります。

今回は、「やりたくなった」ので、一気にやってみました。

作業が完了したときは、その分しっかり疲れました。デイリータスクの進捗も遅れが生じました。しかし、他方で、その疲れに心地良さを感じる自分がいることに気づきました。

バランス感をなくしてしまうのは継続的・恒常的なパフォーマンスを発揮する上ではよくないですが、自分の気持ちをもっと重視することの大切さを知りました。

毎日ぶっ続けで作業をし続けることはしんどいですが、たまにはそういう時間も必要なようです。

好きなことより夢中になれることを

この作業をしたときにふと思ったことがあります。

私は、世間でしばしば言われる「好きなこと」という表現に、私はどうしても疑念を抱いてしまいます。

例えば、私はバスケットボールが好きです。

しかし、「本当に好きか?」という疑問を自分に対してしたとき、一度は首肯できても、ずっとイエスだとは言い切れなくなります。

「好き」という言葉は、他者との対比に陥りやすい表現に思えます。捉えています。八村塁選手が「バスケットボールが好き」というのを目にすると、自分が「好き」と堂々と言っていいのか、という思いが頭をよぎります。

もちろん、そこには自分の心の問題もあるとは思います。しかし、その解決は一朝一夕に行くものではありません。

どうしても遠慮の文化がどこかにあるのでしょうが、「好きだ」と堂々というのはハードルが一段高い感じがしてしまいます。「好き」という表現が恋愛との結びつきが強い印象があるのもその一因だと思います。

実際、私は、例えTVの力があるにしても、学校の屋上で「〇〇さんが好きだー」なんて告白できるタイプではありません。

その点、「夢中になっているか」という指標でみれば、自分に目を向けやすい指標であるように捉えることができます。併せて、「今夢中か」という視点にフォーカスできます。

だからこそ、「夢中」な時間を重視していたいです。

この記事を書いた人

相羽涼太

相羽涼太

読書、手帳術、旅行記・訪問記・食レポ、ジム(運動、食事)、英語学習などを中心に記事を更新します。

インターネットの登場で、「考える」ことが減りがちな今こそ、自分なりの軸を持って、考え、発信していくことを大切にしたいと考えています。

SF(上位10位、2019年1月現在):慎重さ、収集心、個別化、責任感、自我、指令性、目的志向、自己確信、信念、学習欲