新幹線等の座席を下げる問題から見る心の問題

過去、「新幹線の座席問題」について、堀江貴文さんのツイートから新幹線でのモラルについて議論されたことがありました。

その当時は、どっちもどっちで怒りを感じうるものだな、思っていました。

座席を下げる許可を取ると、「勝手にやってくれ」と腹立たしく思います。逆に、場所によって座席が非常に下がる仕様の座席もあるので、前の人がかなり下げてきて、こちら側のスペースが極端に狭くなったときは、「気を遣えよ」と感じていました。

しかし、最近、「座席下げていいですか?」と聞かれたことがありました。そのときに、なぜ自分が腹立たしく感じていたのかがようやく理解できました。

感情の動きを見つめる

「怒り」はその奥に別の感情があるから発生するのですが、ここでの感情の動きから自分の認識を理解できました。

そもそも、「座席下げていいですか?」という言葉は、私の中で、基本聞かれないものとして想定しています。

そして、実際、大半の場合は聞かれずに下げてきます。それはそれで少し窮屈にはなるのですが、そこは下げてもある程度スペースを確保できる設計になっている限り、予想の範囲なので、感情を揺さぶられることはありません。

しかし、その想定でいる中で、「座席下げていいですか?」と言われることは想定外で意外なことです。聞かれないだろうと思っていることを聞かれるので、単純にビックリします。新幹線内で他人と話すことはないのが基本なので、思ったより面を食らった気分になります。

そうなると、不安に感じてきます。それは想定していないことだからで、ビックリしたところからの不安を感じる流れは、ほとんど無意識下で進んでいくので、ここを止めることはかなり困難です。

「なぜ許可を取る必要があるのだろう?」「「はい」しか回答がないのに、なぜ聞くのだろう」などと、無意識のうちに色々と想像してしまいます。

やがて、その想像が自分の中で勝手に増幅されます。

「声をかける必要性はないのでは…?」

「新幹線の設計として、下げても、スペースは確保してあるはずなのに、声かけるってことは何かあるのか…?」

などと考え、疑心暗鬼になり、不信感に繋がって行きます。そうなると、不信感から怒りに繋がっていくのである。

「驚く→不安に感じる→怒りに感じる」というルートを歩むのです。

ただし、この中で、「驚く」のと「不安に感じる」までは止めようがないのですが、その先の想像を自分で膨らませるところは止めることができます。

ここは、あくまで「自分の頭で勝手に考えている」に過ぎません。

妄想が膨らんでいることさえ自覚できれば、その動きを止めることができます。

実際、妄想が膨らみかけているのを自覚し、「ん?」と違和感を感じたので、わざとトイレに行くようにしました。

そうすると、戻っている頃には、何もなかったかのように、平常心に戻っていました。

信念と絡むと寛容になるのが難しい

ただ、堀江貴文さんの場合は、彼の強い信念として「時間」を非常に大切にしているので、それを邪魔することにあたるので怒りに繋がったということになるので、問題はより複雑です。

新幹線の座席問題は、堀江さんにとっては、自身の信念に絡んでいるだけに、他の人が思っているよりもストレスに感じることなのです。

実際、過去に彼が「炎上した」と言われるところは、彼の「信念」の説明がないまま、意見を発しているところにあったと感じています。

最近ではそこに変化の兆しがあって、「手取り14万の話」を聞いて反応した人でも、堀江さんが少し後に自身で出した発言解説動画を見ると、彼の論理は分かるし、発言の文脈が分かるので、理解できます。

そう考えていくと、別の問題に入ってしまいますが、自分の信念の貫き方・向き合い方も考えされられます。

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この記事を書いた人

相羽涼太

相羽涼太

読書、手帳術、旅行記・訪問記・食レポ、ジム(運動、食事)、英語学習などを中心に記事を更新します。

インターネットの登場で、「考える」ことが減りがちな今こそ、自分なりの軸を持って、考え、発信していくことを大切にしたいと考えています。

SF(上位10位、2019年1月現在):慎重さ、収集心、個別化、責任感、自我、指令性、目的志向、自己確信、信念、学習欲