「なぜモンゴルに行くのか。」〜海外から刺激を受けること〜

今年の夏休みは、モンゴル旅行を楽しみました。

ただ、「モンゴル」という言葉を発すると、「なぜモンゴルに行くの?」という質問が必ずと言っていいほど出てきます。

「なぜモンゴルに行くのか。」

聞かれた際は、パッと思いつく範囲の回答はしますが、この回答に向き合ってみます。

便利な生活からの脱出

現代人の生活は、効率化が進み、デジタル技術への依存度が増えました。実際、電車を見ると、スマホに触れている方がほとんどではないでしょうか。

だからこそ、いわゆる「デジタル・デトックス」は大切だと感じます。実際、旅行に行く際、私は、毎日スマホに触れる自分に少し嫌気が指していました。

実際に旅行すると、特段海外用wifiも持っていっていないので、ネットも繋げませんし、メールも出来ませんし、クラウドサービスを使えませんし、電話も出来ない環境になりました。

スマホを使わずに生活するのは厳しいのでは、と心の奥で思っていたのでますが、実際にはやればできました。連絡を絶っても別に何とかなるのです。

その「何とかなる」を自分の実感として経験できたのは大きいです。「過度な依存」は良くないな、と実感しました。

また、モンゴルで食べる料理は、今でもほとんどが手作りの料理だそうです。他方で、ここ数年の私は、作る時間が面倒という理由で、外食とコンビニで構成されている食生活を送っていたので、そこも衝撃を受けました。

私は、食にありがたさを感じていなかったのです。食べるものはあることが当たり前になっていて、ハッとさせられました。

感情を揺さぶること

私は、人生において、「感情を揺さぶること」に対して定期的に時間を確保することは必要だと感じています。

これは、社会人になってから思うことが多くなりましたが、我々が日常生活で経験する範囲で心を動かされることはあまりに少ないのです。

例えば、プロジェクトのグループメンバーとなり、そのプロジェクトが無事成功したとき、嬉しさを感じると思います。ただ、その「嬉しさ」は一瞬です。

まず、その喜びを感じるまでに相当な時間をかけていますし、苦労した部分も多いと思います。また、成功したときこそ、「次に動こう」という思いも強くなります。

実際、仕事上の会話で、「感動した」ということはあまりないと思います。出会いと別れのときは、心が動かされる方ももちろんいますが、それでも、コミュニケーションの量から比率を考えれば、感動的な場面はかなり低いでしょう。

しかし、感情を動かさないと、それこそ機械のようになっていきます。精密機械のように駆動できることは、確かに1つの良さではありますが、人間は感情があるからこそ人間ですし、だから面白いと思っています。

その観点では、日常生活を送る面では、たまに映画・小説等で心を動かすことは大切だと思っています。ただ、それはあくまで擬似体験に過ぎません。

その上で、旅というのは感情を大きく揺さぶる経験を与えてくれます。

今回でいえば、例えば、宿泊先で迎えた朝、太陽が出たとき、岩肌を見ると、「とても綺麗だ」と感じました。実際にずっと見ている訳ではないのに、なぜか「ずっと見ていたいな」と感じます。

現地にいる人からとれば、毎日見ている当たり前の景色なのにも関わらず、私にとってみれば大きく感動を与えてくれる訳です。同じ人間であるはずなのに、不思議なものです。

また、海外旅行についていえば、日本では国土の広さの関係でなかなか経験できないようなことも多々あります。

今回でいえば、周り一面が広がったような光景を多くみました。小丘を登っただけなのに、そこから見渡せる世界の広がりに心を動かされました。一面が開けているというのは素晴らしいものです。

息を飲む光景と言いましょうか。何か話してはいけないかのような神秘性さえ感じました。

「多分一生できないだろう」と思う出来事

日常生活を淡々と送っている中で、「モンゴルに行こう」とはなかなかならないと思います。

だからこそ、モンゴルに行きたいのです。

これまで、一生という時間は意外と長いものだなあ、と思っていたのですが、「10年後何したい」とかを考えてみると、「一生で出来ることはそこまで多くない」ということが徐々に分かってきました。

それを認識したとき、「多分一生できないだろう」と感じる出来事を経験できることは貴重ですし、そう感じる出来事は、「絶対将来役に立つ」と確信を持ちます。

今回でいえば、馬やラクダに乗ったり、羊肉をこれでもかという程食べたり、馬乳酒を飲んでみたり、ハエが常駐されている部屋で寝たりする経験は「多分一生できない」と思うものです。

「それが何に役に立つのか」ということを聞かれると解に困ります。しかし、「将来役に立つ」ことだけは確信しているのです。心が豊かになるといいましょうか、そんな経験は、これからも積極的にやっていこうと思います。

「ありのままに生きる」に触れる

モンゴル人はありのままに生きていました。

「家畜が野菜を食べてくれるから、野菜は食べなくて大丈夫」と本気で言っていますし、今では減っているそうですが、「夜は飲んでいる男どもが喧嘩している様子をよく見る」

そうです。

また、喫煙・飲酒率も高いように見受けられますし、言伝も今でも相当数が存在しているように思われます。

これらは、統計・論理的にいえば、「良くないこと・間違っていること」とされるのかもしれません。

実際にデータとして、平均寿命も低めに出てはいます。

しかし、彼らは、「イキイキとしている」のです。楽しそうに日々を生きているのです。

平日の電車が一番分かりやすいですが、朝にも関わらず辛そうな顔をしている方が一定数いらっしゃるように見受けられます。私も行くのが辛かったときがありました。

ただ、そういうイキイキしている姿を見ると、寿命の長い人の方がいい、とはとてもではないですが、言えません。義務感の元、自分の行動を制限するのは馬鹿げているな、と感じさせられます。

世界と比べる

よく「海外と比べて日本は遅れている」というような言論があります。

これは、日本人の卑下の面もあるとは思いますが、実際には、海外にもいいところはあり、日本にもいいところがあるはずです。

海外のいいところは、一部は文化の違いで日本に導入できないかもしれませんが、時代的な背景からも、より積極的に取り入れてもいいのではないか、と思っています。

個人的には、日本人の「強み」は奇抜な発想をすることではなく、奇抜な発想を「いいな」と素直にいち早く取り入れ、独自に発達させ、いつの間にか独自のものになっているという、「発展させる力」にあるのではないか、と仮説を持っています。

ここはまだフワフワしていますが、そのためには、海外からの刺激を貰えるよう、自分の身を置いた方がいいのでは、と感じ始めているところです。

そのため、たとえ、仮にそれが「体験」程度のものだとしても、その経験は貴重になると思っています。

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この記事を書いた人

相羽涼太

相羽涼太

読書、手帳術、旅行記・訪問記・食レポ、ジム(運動、食事)、英語学習などを中心に記事を更新します。

インターネットの登場で、「考える」ことが減りがちな今こそ、自分なりの軸を持って、考え、発信していくことを大切にしたいと考えています。

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