「プライド」という気づいたときには持っているものについての考察

私は「プライド」にあまり良い印象を持っていません。

もちろん、「良い」プライドという側面もあると思いますが、「妙なプライドが邪魔をする」などという言い方もあるように、あまり良くない言葉として「プライド」が使われることもあります。

今回は、この妙な・良くない意味での「プライド」について考えてみます。

小さいときはなかった

そもそも、小さいときは「プライド」という概念を持っていなかったはずです。

確かに、小学校時代とはいっても、個人差はあれ4年生以降だと、少しずつプライドを持ち始めると思います。しかし、少なくとも小学1年生は純粋な気持ちだったはずで、それ以前だともっとピュアな存在でした。

義務教育課程で持ちがちなプライドは、「勉強」と「運動」に関してです。

例えば、

マラソンの距離を競うスタンプカードで一番になりたいだとか、

読書のスタンプカードで、一番になりたいだとか、

算数は毎回高得点を取るとか。今から見ると可愛いものかもしれないのですが、ここが起点になっています。

消極的なものでいえば、

「クラスメイトに笑われたくないから」というモチベーションで、

指されたときに間違えないように勉強するとか、

鉄棒の逆上がりを必死に練習するとか、その辺りでしょうか。

繰り返すことで潜在意識に

どんなことであれ、1回言われたくらいでは影響はありません。

しかし、何度も言われると、無意識下で残ってしまうものです。

例えば、小学校時代の宿題の返しで、先生が生徒を指していき、生徒が答えを言います。

その際、正解か不正解かの指標として、私の学校では、他の生徒が「そうです」「違います」という謎のエコーをかける文化がありました。

その「違います」が嫌でしょうがなかったです。皆に否定されている感じがあります。あまり言われたことはないですが、それでも何度かは言われたことがあり、嫌でしょうがありませんでした。

当時を振り返ると、不正解を出すことは「人間としてダメ」なことでは全然ないのに、大勢が否定表現を用いることで、存在を否定されたように感じていたのでしょう。

自分が「違います」と言うことすら嫌だったので、私は無言でジッとしていました。

未だにあの教育方針は私には分かりません。「間違えることは悪いことだ」、という教えを潜在意識に刷り込まれた良くない方の思い出の1つです。

「認める」ことで開放する

潜在意識に組み込まれてしまった場合、どうすればいいでしょうか。

それに対して抗うと、それは潜在意識に反する行動を取っていることを意味しているので、いつかその反動が起こってしまいます。

つまり、潜在意識に組み込まれたが最後で、それを完全になくすことは無理なのです。

そうであるならば、もはや認めてしまった方がいいのです。先の例でいえば、「間違えることで、人間としてダメだと思われると思っている」ということを認めるということです。

間違えて全く問題ないのです。間違えてダメ人間で、何が悪いのですか、という感じで開き直ってしまうのです。

この他にも、私は、学級委員とか生徒会とかをやっていたからだと思いますが、「しっかりした人であらねばならない」ということも潜在意識に眠っています。

しかし、実際の自分は当然いい加減な部分があるので、その矛盾に勝手に苦しみます。

でも、全く自分勝手でいいのです。

「そんな自分も自分である」と認めるところから始まり、段々と解放されていきます。

「段々と」が実感できないので難しいのですが、ふとしたときに、以前気にしていたことを気にしていない自分に気付いたりします。

万能でないから人間らしい

これまでの道筋を振り返ると、全然真面目じゃない、愚かな自分に気がつきます。しかし、愚かでいいのです。

完璧な人間とは何でしょうか。

例えば、記憶が完璧という面を見ると、人間よりもコンピューターの方がはるかに優秀です。

しかし、コンピューターと仕事をして楽しいでしょうか。私は、ビジネスパートナーとしてのコンピューターは便利ですが、「楽しい」という感情を抱きません。

やはり人間は、良い点と悪い点があるから愛すべき素晴らしい存在なのです。

これまで、短所克服が重視されバランス型が素晴らしいと考えられてきた時代が続きましたが、最近になって、それが崩れてきているように感じています。

それよりは、自分の得意で突き抜ける生き方もあることが示されつつあるように感じています。そして実際、それが大事だと思います。

ただし、得意の暴走に注意です。

例えば、私は慎重に歩を進めるタイプです。そのため、よく言えばリスクに気がつきますが、悪く言えば、作業のスピードが遅いと思われる可能性があるのです。そのことには意識的であるべきです。

結論

プライドなんてない方がいいと何度も思ったことがありますが、生活で繰り返しの行動をしている中で、どんな人間も持ってしまうものです。

まずは、持っていることに自覚的であること。それだけでも変わります。

ただ、難しいのは、自分が妙なプライドを持ち、意地になっている部分ということに自分が無自覚な場合、自分で気づきにくいことがあるのも事実です。

だからこそ、他者の存在も大切で、気づきのためのきっかけを他者が与えてくれることはよくあります。

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この記事を書いた人

相羽涼太

相羽涼太

読書、手帳術、旅行記・訪問記・食レポ、ジム(運動、食事)、英語学習などを中心に記事を更新します。

インターネットの登場で、「考える」ことが減りがちな今こそ、自分なりの軸を持って、考え、発信していくことを大切にしたいと考えています。

SF(上位10位、2019年1月現在):慎重さ、収集心、個別化、責任感、自我、指令性、目的志向、自己確信、信念、学習欲