ブログを始めて1年が経過したので振り返ってみる〜成長の記憶と記録〜

このブログは、2018年5月22日に誕生したので、2019年7月17日現在、既に1年が経過していました。

2019年5月22日のときは、「そういえば1年越えたなあ」と思っていて、「記事を書こう」と思ったら2ヶ月が経過しそうになってきました。

本ブログの1周年を記念して、これまでの経緯を振り返ってみます。

なぜブログを始めたのか

さすがに、開始当初はそれなりに想いがあったと思うのですが、なぜブログを始めたのか、今は明確に覚えてはいません。

当時の状況を振り返ると、「社会人として生活する」というのがどういうことか分かってきて、まだまだとはいえ、大体の仕事の相場観を知り、「このまま過ごしたら自分の人生はこんな感じか」という一つの将来像を見たのがこの頃でした。

「もっと楽しくイキイキして生活したい」と思いながらも、何が生きていて楽しいのかが分からず、もやもやしていました。

だからこそ、まずは自分のことについてもっと知り、よりイキイキと生活するためのツールになれば、というのが当初の想いだったと思います。

また、自分がどう考え、どう行動したか、ということを言語化することはかなり意味があると思っています。

それに加え、物書きの人や、自分が考え抜いたテーマで講師をされている方に、イキイキとしたエネルギーを感じており、「自分もそういうことがしたい!!」と思っていたように記憶しています。

分からないけど、とりあえず書いてみる

そのような想いはあったものの、これまで割と「論理」の側の関心が高く、その側の学びを深めてきた私にとって、ブログの「何でも自由に書いていいよ」というのは、「どうしようか…」と結構苦戦しました。

「自分のことを自由に書く」ということも、今では手段でありますが、開始当初は、まずは何か書く題材が必要なので、題材集めにも苦戦していたように思います。

ブログをやっている私の知人・友人が、フリーランスの人が多く、自分の商品をブログ上でそのまま紹介したりしており、「かなり自分は遅れているなあ」という想いと、「モノを書けないなあ」と絶望感をしばしば味わいました。

最初の記事は書評ですが、完全自分のノートみたいな記事でした。「自分のため」も重要な要素だと考えているので、別に問題はないのですが、見返すと「なんだこれ…」と感じます。

ちなみに、「ブログを始めてみました。」という記事が4つ目になっているのも、今から振り返ってみると初々しくていいな、と思います。

ブログのタイトルに想いを込める

思い返すと、当初からしばらくの間、ブログのタイトルに結構悩んでいたのを思い出します。

ブログを始めようとするときに見た、何となくの将来像でいいのか、という危機意識と、もっと自分らしさを出したい、と思って作ったのが本ブログです。

最初の方は、タイトルも「雑草魂」としていて、この言葉自体は、自分を示す言葉の1つで、好きな言葉の1つです。

実際、「雑草魂」の想いは全く変わっていません。自分は雑草で、とても不器用な存在であることを自覚しますが、それでも雑草なりに輝いて生き抜く、という決意はずっとあります。

実際私は、ストレングスファインダーの人間関係構築力は分かりやすく強みに存在しないので、ポジティブなど周りの雰囲気を良く・暖かくしてくれる人は周りに必須だという想いを日に日に強めています。

ただ、この「雑草魂」は「自分の生き方」であり、ブログタイトルではないな、と思っていました。

結局現在選んでいるのは、「思考の垂れ流し」というタイトルです。

ブログという形態の魅力は、「想いの表出」にあると思っています。文章形態でいえば、「随筆」というジャンルになりますでしょうか。

例えば、書評でも、もちろん公序良俗はありますが、自由に書けます。そして、自由さの最大のメリットが、「想い」を伝えられることです。本を読んだときにどう感じるか、ということこそ、本を読む「学び」の最大の意味だと私は思っています。

商品紹介でも、Amazonレビューでは深部までは書けませんが、ユーザーの商品への愛をブログ上で語ることができます。

この2つの例は、商品がある場合ですが、「商品」がなくても同じです。

人の行動原理は、論理でなく感性の方にあると思っています。ブログには「思考の表出」が必要なのです。

「垂れ流し」という言葉のイメージだと、森の奥にある小滝のちょろちょろした水の流れをイメージすると思います。

しかし、個人的には、「垂れ流し」と謙遜はしつつ、ナイアガラの滝のような世界的な滝から出る大量の水を流すイメージを込めています。

全員でなくて良いのですが、私と似たような悩みを持つ方々が心を動かすような、想いを込めた記事を作って生きたいな、と思っています。

見出しを付けるようになる

ブログを書いていて最初の方にしばらくの間思っていたのが、「見出しを付けないと自分の文章を自分で見返しにくいなあ…」ということでした。

恥ずかしながら、見出しの付け方をしばらく知らなかったのです。結局、詳しい方にお伺いしたところ、簡単な動作だったことを知りましたが、初心者なので分からないことは聞かないとな、と思ったものです。

見出しを付けられるようになったことで、徐々に記事が書けるようになりました。記事を書いていると、それなりには書けるようになってくるものですね。何事も経験と言われますが、実際体験すると不思議なものです。

記事の「質」と「量」の問題

記事の見出しを付けるようになったことで、記事の分量をある程度書けるようにはなりました。

他方で、それにより弊害が出るようになってきました。記事を書くために十分な時間を確保する必要が出てきたのです。

時間が30分程度しかないと、「書くか」などとはならず、結果として記事を書くハードルを上げてしまっていました。

質も大切ではあると思うのですが、他方で、継続を阻害してしまうと元も子もありません。量と質のバランスに思い悩むようになってきました。

この問題の答えはまだ出きっていないところではありますが、ある程度量を作る側で考えた方が私のスタンスとしては向いているかもなあ、となりかけているところです。

編集後記

私は、本来○周年などにあまり興味のない人間で、少し「あ、そういえばそうだな」という程度です。

ただ、「振り返ること」は重要だな、ということをこの記事を書いてみて思いました。

「なぜこの日だけ急に祝うのか」と、誕生日とか記念日とかに疑問を抱いていましたが、これまでの活動を「振り返る日」と捉えれば、節目としていいかもしれないな、と少し思うようになりました。

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この記事を書いた人

相羽涼太

相羽涼太

読書、手帳術、旅行記・訪問記・食レポ、ジム(運動、食事)、英語学習などを中心に記事を更新します。

インターネットの登場で、「考える」ことが減りがちな今こそ、自分なりの軸を持って、考え、発信していくことを大切にしたいと考えています。

SF(上位10位、2019年1月現在):慎重さ、収集心、個別化、責任感、自我、指令性、目的志向、自己確信、信念、学習欲