そもそも、私は、お金に対する興味や執着がそこまで濃くない人間です。
確かに、お金はあるに越したことはないが、自由に生活して問題ないだけあれば、それ以上にこだわりはないな、と思っています。
しかし、この本は、「一生お金に困らない」とありますが、その後に、「生き方」とあります。つまり、切り口は「お金」としてはいますが、この本の主題は、「心の問題」にあります。
実際に、心の「あり方」について教えてくれます。
それでは、詳細を述べていきましょう。
「お金」は「空気」と同じで「ある」もの
そもそも、お金とは何なのでしょうか。
元々人間は、物々交換をして生活していました。しかし、鮮度はモノに寄って異なっていたりなど、不便に感じる点がありました。そこで、そうするよりも、「共通の価値」という信頼の元、あらゆるものを統一的に把握するツールとして、人間自身が発明したものがお金です。
歴史的、論理的に考えると、概ねこのような解のラインになるかと思います。そして、その答えは正しいです。
それでは、角度を変えると、「お金」という言葉について、どう捉えているでしょうか。
そう聞かれると、例えば、これは、いわゆる「富豪」と言われる方が逮捕されたりしたときに特にこういう考え方が強まりがちですが、「お金は汚いもの」という印象を持つ方も多いと思います。
私自身も、現時点では、お金にあまり執着はない人間であると考えていますが、それは実は、「お金は汚い」という思いが潜在意識にはあって、それを感じると辛いだけなので、感じないように距離を置いているのかもしれません。
その回答として、本書の表現を探すと、
「目に見えないけれど、「ある」」「お金=空気=愛情」(106ページ)
ということになります。
「空気」が一番分かりやすいと思いますが、空気は、奪いあう必要は全くなく、どこにいても、「ある」ものです。そうであるからこそ、お金にキレイも汚いもないし、それは川の水のように、流れるものです。
既に少し心の分野に話が入ってきましたが、そう捉える、そう捉えてみることが大切だというのが、本書の主張になります。
「存在給」という概念を知ろう
お金=空気という捉え方があることを認識したとしても、残業をして稼いだ方がトータルとして貰える額は多いし、暇を持て余すこともないような気がするが、そんなことはないのでしょうか。
こういう質問を考えたとき、そのマインドを変えるアドバイスが、この本に盛り込まれていました。
まず、筆者によれば、「収入は自分が認める自分の価値に比例」(44ページ)するそうです。そして、自分に対して、自分がどれだけの価値があると思っているのかが、「存在給」となります。
他方で、一般的に言うところの給料、頑張った結果として貰える金が「歩合給」と定義しています。
実際、私は歩合給で生きていると思いますが、頑張って「歩合給」で生きるのは大変です。その理由も端的に記載されています。
「死ぬほどがんばっても、自己評価がそもそも低いので、自分が満足できるほどは評価されず、もらえない。」(48ページ)
だからこそ、考え方をガラッとシフトさせ、あなたは頑張らなくても、十分愛され、認めていることを認識すること。「これからなる」のではなく、既に「その状態になっている」と知ることが大切になります。
知ってまずは認識した上で、その考えを受け入れ、信じること。そうすることで、「流れ」が変わってきます。
一見、論理飛躍があるようにも思えますが、それは飛躍というより、信じることが出来ていない、ということになります。
内容として、潜在意識に語りかけるものであるので、まずはそれを認識しないと、受け入れるのは難しいな、と感じています。私自身は、本からの学びを上記のように理解すると、まだ認識レベルとはいえ、気持ちが楽になりました。そしてこれは、私が目指している、「楽しんで生きること」「自由を楽しむこと」に繋がる考え方だと理解しています。
恐らくこの言葉が私に響くのは、著者が、元佐川急便の社員であるところが大きいです。企業で働いる点で共通点を見出しているからこそ、深く突き刺さっているのだと思います。
過去の自分を「許す」こと
ここまでだと、私は、言っていることは分からなくもないが、心がぞわぞわするような感覚を抱いていました。
そこで質問の角度を少し変えて考えてみます。
奢ることが典型例だと思いますが、お金を人にあげることに喜びを感じる人がいることは認識しています。しかし、私の価値判断だと、そのマインドが理解出来ません。まず、その価値観を理解するのはどうすればいいのかというのと、私にあるその貧乏根性を変えていった方がいいのでしょうか。
この質問を問うと、この本にしっかりその解答となるヒントがありました。
それを理解するのに大切なのは、本書の表現を用いると、「心のクセ」となります。
我々は、これまでの環境によって作られた価値観を前提として生活を送るため、たとえそれが偏りのある考え方であったとしても、それを当たり前のこととして感じます。
普段は疑うことすらありませんが、前提が実はバイアスで会ったことを気づかせてくれるキッカケの1つが、「お金の問題」であると、著者は言っています。
そして、前提の偏りに気がついたとき、大切なのは、原点に振り返ることです。その際、「家族の出来事」にその考え方を持つに至った原点があることが多いそうです。
そして、その考え方があること、その原因が分かったら、それを持っていた「過去の自分を許す」ことが大切であるとのことでした。
それが抽象論ですが、これだけだと分かりにくいので、これらを踏まえ、自身を振り返ってみます。
お金に限らずですが、私には、「頑張ることが大切であり、頑張らないと自分の存在価値はない」という考え方が割と強く心の奥にあります。そのため、お金に関しても、頑張った人が貰っているという認識をしています。
その考え方が生まれたキッカケは、どこにあるでしょうか。
学校という方面から考えると、幼稚園はあまり記憶にありませんが、小学校の先生は、頑張った分褒めてもらった記憶があります。
家庭という方面から考えると、父親には、厳しく育てられ、「陰で努力すること」「人の100倍努力すれば、不器用でも、2倍の成果が出る」ことを事あるごとに言われました。母親もここまでの真っ正面からの発言はなかったにせよ、「頑張ること」を前提として考える方でした。
特に、努力の教えは、トラウマな思い出もあり、自転車や逆上がりの習得は、相当頑張ってできるようになったという認識が強いのですが、それは、父親に毎日のように怒られ、罵倒されながら何とか習得するプロセスを踏みました。期間としては、2週間もなかったと思いますが、相当苦しかったことは覚えています。
そして、そのマインドがあるため、頑張れていない高校時代、大学時代前半は、自分を相当責めたんだと思います。
ここあたりは、プロフィールにも詳しく書いています。
「頑張るマインド」は割と強いので、例えば、多少緩んできたとはいえ、今でも「だらだらした時間」を過ごした後の後悔感は強いです。
実際に、「やり方」ということを考えても、実際に休むのが下手で、ヘトヘトになるまで頑張ってきました。現在は、「あり方」と「やり方」両方を変えていく必要性を感じています。
ほぼ確信に近いですが、ここあたりの記憶が、自分のバイアスを作り上げていると思います。
そして、そう考えていくと、自分のバイアスは、色々なところにも埋まっています。
そして、大切なのは、そんな過去の自分を、「もう大丈夫だ」「心配ない」と認めてあげることです。
繰り返し言うことが大切で、そうすれば、少しずつ「大前提」が崩れていくそうです。これもじっくり腰を据えて取り組む事項の1つです。変わっていくのは半年以降経った後からかな、と仮説を立てています。
金は天下の回りもの
基本的に、本書からの気づき・学びをまとめましたが、少し抽象的にも考えてみたいと思います。
他者貢献の前にまずは自分を幸せにしよう、というのが私の現在の考えであり、そのためには自己肯定感を高めていくことが重要だと理解してはいるものの、お金は自己肯定感を高めるツールとして機能するのでしょうか。
当然ながら、お金は、自己肯定感を高めるツールとして機能します。それを理解するのに大切なことが、「お金は天下の回りもの」であることを理解することだと、私は理解しています。
回りものであるからこそ、考え方を変え、お金に関していえば、「先に出す」ことで、お金が流れるようになってきます。
本書では、「托鉢(たくはつ)の教え」についての例えが出てきます。托鉢は、お坊さんがお鉢を持って色々な家を周り、お恵みをいただく行為のことです。
お坊さんは、托鉢なぞ何故やるのでしょうか。それは、「貧しい人にお金などを出させる」ことで、貧しさから彼らを救うためであるそうです。
貧しい人は自分たちのことを貧しいと思っているので、他人に施しはしません。逆説的ですが、そのせいで貧しさから抜け出せないでいる、という考え方であるそうです。
そうであるからこそ、お金を出すことをすることで、お金が入るようにもなってくるということでした。
それに一般人でも代替的に出来るミッションとして、本書では「神社ミッション」を推奨していました。これは、1万円とか大金を一般的な神社に出すことで、考え方は托鉢と同様です。
そうすることで、お金はリターン返ってくるようになります。そして、「お金は空気と同じで「ある」もの」という認識にもなっていきます。
まさにお金は回りものなのです。
編集後記
これまで私は、本は補足情報であり、実際に会って話を聞くのが一番情報吸収の度合いが高いと思ってきました。
そしてそれは今も正しいと思っています。リアルの方が、自分が感じる印象・インパクトの度合いが大きいです。特に、質問をすると、いただいた回答は頭に残りやすいですし、話したことが間違えたりしても、記憶に残りやすいです。
とはいえ、本は「補足」として使うにしても、もっと活用して生きていった方がいいのではないか、と最近強く考えています。そうやって考えると、私は、まだ考えることが足りなかったのではないか、と思いました。
この記事も「本で学んだことを活かす」という観点を強めて執筆していますが、もっと深く読み、本と対話できるようになっていければと思います。
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