先日、映画化で話題の「翔んで埼玉」を映画館で鑑賞しました。
ものすごく気楽な気持ちで鑑賞でき、2時間超の映画でしたが、退屈感なく見られました。他方で、よく考えると考えさせられるところもあり、また、原作が30年以上前の作品であることも相まって、不思議な感覚を覚える作品でした。
はじめに
先日、映画「翔んで埼玉」を見ました。
ストーリーは一応あり、その内容は「あり得ない」はずなのですが、「あり得なくもないかな」と思える点が不思議です。
ちなみに、私は埼玉県出身なので、地名ネタとか認識しながら鑑賞しています。
徹底的なギャグ要素
映画となると、多少なりストーリーがあり、感動的なシーンがあったりするものも多いかと思いますが、この作品は徹頭徹尾ギャグ要素で満ち溢れていました。
感動作を見て心を揺さぶられることに映画の意義を見出していたことが最近多かったので、ここまでコメディ調で徹底した作品を随分久しぶりに鑑賞しました。
原作が30年前の作品
一番驚いたのが、この作品の原作が、1982〜83年に作られた作品であるということです。
恐らく映画用にアップデートした部分はあるとは思いますが、時代背景を、東京は明治、埼玉など関東圏は江戸のような形をして展開しているので、30年以上後の時代に鑑賞しても十分通用する作品であったということだと思います。
根強い地元ネタ
作中では、例えば、「有名人の出身地」で千葉と競い合うシーンがあったり、埼玉県内でいえば、浦和と大宮の内輪揉めのシーンがあったり、埼玉県の名産品の少なさを嘆いたり、割と古典的な埼玉への皮肉めいた批判を展開するのですが、自分自身がどうというよりは、観客がかなり受けていたのが印象的でした。
また、山田うどんが所々で写っていたりなど、分からない人はスルーするような小ネタも結構入れ込んでいた印象です。
ネットの登場、そして、技術の更なる進展により、色々な人と容易に関係性を構築することが出来、ボーダーレス化が進んでいると言っても、一般的には、まだまだ昔から変わっておらず、地元愛を持ち、地元ネタを楽しみ、埼玉県民でいえば、「自分で自分の出身地のことをディスることはいいが、他の出身者からいじられるのは嫌だ」という雰囲気がありますが、依然としてそれは変わっていないことを知りました。
また、エンディングでは、久しぶりに?はなわが「埼玉県の歌」を歌っていました。
ここも会場が盛り上がっていました。
内容的には新しくないはずですが、「秘密のケンミンショー」がTV番組であり続けるということは、未だにローカライズの話は大事な共通点の1つで、話のキッカケなんだなあ、と思いました。
嫌味のないディスリ?
「ディスる」という言葉は、disrespectの省略形に由来する言葉で、初めはラッパーなど一部しか使っていなかった言葉ですが、次第に全国的に使われる表現になってきました。
この表現が知名度を得た時に、この原作が再燃したと思います。この作品はまさに「ディスり」という表現のニュアンスがはまっていて、千葉県は魚介感を全面に出し、群馬県はジャングルで異形な生物すらいる土地になっていて、終始色々なところをディスった作品です。
ただ、まあ作品を見ていても、嫌味は感じないな、と思ったのが不思議でした。言っていることは確実にけなしているだけはずなのですが、少なくとも映画館内ではかなり盛り上がっていたことから、面白く感じたりするのです。
他方で、特定の人をけなすことは、行き過ぎるといじめへと繋がっていきます。これこそイジメといじりの境界の話というところでしょうか。
「傷つけているようでいて、実は誰も傷つけていない笑い」といいましょうか、その面を考えると、地元ネタってすごいな、と思いました。
おわりに
この作品の最後には、「埼玉全国化計画」などと銘打ち、色々なしょうもない側面をコメディタッチで紹介していきます。征服と考えてしまうと一見よくないのですが、これは、「実際にはありえない」からネタとして受け入れられるんですかね。
人は共通項がある人に親近感を覚えます。そして、そのネタとしてとっつきやすいものの1つが「地元あるあるネタ」です。
「人間が話すこと」「笑い」という観点から観ると、とても不思議な感覚を抱く作品でした。