遅ればせながら、ロングランになっている映画、「ボヘミアン・ラプソディ」を見ました。
大体ミュージシャンの映画はライブシーンが多く冗長に感じる傾向にあると個人的に思うことがあるのですが、本作は感動作でさすがの評判作だなあ、と思いました。
何より、作品チームにQueen愛の強さを感じます。
はじめに
まず私は、Queenについてほぼ無知識の状態でこの映画を見ました。
ただ、Queenの曲はあまりに有名で、TV・CMで多くが流れているので、全く知らない人でもライブシーンも含めて楽しめると思います。
ほぼ無知識でも作品としてはよかったのですが、Queenファン程興奮する作品だと思います。detailにはこだわっているであろうことは、スタッフにQueenメンバーがいることや、ライヴ・エイドシーンの凄さを見れば伝わってきます。私も鑑賞後Queenやフレディ・マーキュリーについて調べていくうちに、「あの作品よかったな」と徐々に良さが膨らんできました。
自我を貫く
フレディは、インド出身だったんですね。底辺から頂点に立った、いわゆるアメリカン・ドリームの典型であったとは、初めて知りました。
恵まれてない環境で「なにくそ」という精神で這い上がるのが好きなのですが、こういう精神の強さが、成功者となるには必要なのかもしれません。
そして、フレディの「想い」の強さをこの映画からは所々で感じます。それは人によっては、「破天荒」と映るのかもしれないのですが、自分が決めて、自分で行動することの大切さを感じます。
シーンを挙げると、
・自分が「いいな」と思ったバンドに、自分がボーカルとして入ることを勝手に宣言する
・「ファルーク・バルサラ」という本名から、「フレディ・バルサラ」に変え、それを「フレディ・マーキュリー」へと改名した。しかもそれは、芸名ではなく、名前を変えている。
・ライブ・エイドに出る決断をする際、(一度喧嘩別れした)Queenに自分を戻して欲しいとお願いする
など、全てフレディから発信することで物事が動いています。「リスクを恐れているのか?」とフレディが罵るシーンもありましたが、勇気が凄まじいです。
根拠のない自信があることも度々描かれており、一見大言壮語のようなことを言いつつも、それを有言実行にしていく、パワー・想いの強さを感じました。
才能とか能力とかもありますが、「想い」を込めた「行動」をすることが成功に繋がることを作品中のフレディの行動を見ると強く感じます。
そして、そんな元が強く見えるようなフレディも、闇の部分が大きくなり、そちらに一度破れ、ふて腐れたり、自暴自棄になったりもしますが、最後は自分の意思で再び立ち上がる姿に、感動します。
スターの「孤独」と周囲の支え
この作品の感動ポイントは、フレディがスターとして人気がどんどん出てくる一方で、当人は人気が出れば出るほどに孤独感を感じるというところから始まります。それに加えて、本人がゲイであるにも関わらず、当時の世の論調としてLGBTの権利が認められていないに等しい状態であったことも本人の孤独感を強めます。
その結果、女性のパートナーとは別れ、信頼できるビジネスパーソンを追い払い、代わりに大したことない人物のことを信頼してしまい、酒・薬を始めとした退廃して自堕落な生活を送ることになります。
その後、かつて愛を誓った女性パートナーが友人として忠告し、それでようやく気づき、一緒にいたマネジャー(兼恋人?)を「ハエだ」として追い払います。
このパートナーが来たことも感動しますが、結局喧嘩別れのようになりかけた時に、彼女やバンドメンバーは「信頼できる友達」であることに気づきます。そして、自らの力で元の生活に戻り、ライヴ・エイドの舞台に挑むことになります。
この一連のシーンを見ると、もちろん周りが気づきを与えようと努力している様子も見えますが、本人が耳を貸さない限り一切変わることはないことを知り、そして、「結局、自分の人生は自分が決める」という強いメッセージが込められているように感じました。
映画の演出としても、マイナスな部分が大きいから、プラスに転じた時に大きな感動を呼ぶものですが、スター性は万人にあるものではないですが、こうした人が落ちぶれる様子がリアルであることから、そこからのプラスで感動します。
ゲイであること
今では受け入れられつつありますが、フレディがゲイであり、当時は同性愛は全くと言っていい程受け入れられる社会ではなかったことも本作の感動を生みます。
フレディは、最初は一生懸命に女性を愛そうとし、パートナーと言える人物に出会いますが、自分は男性が好きだと気づき、相手の女性も気づいています。しかし、男性の中でパートナーと呼べるような心から信頼できる人はいない、というシーンが続きます。
それがフレディの中の孤独感を強め、いつしかQueenメンバーに対し、「お前らは家族がいるからな」といった罵詈雑言を言うことにも繋がるのですが、映画でいえば、ライヴ・エイド直前まで、恋愛対象の男性で心から信頼し合える関係にある人がいなかったということが結構大きな傷になっています。
その上、ゲイであることは世間的には大ブーイングが生じるようなことであるという塞がった状況です。
そういった影の部分が、ライブで輝かしく声を届ける天才的なフレディの「明」の部分と対照的に移り、非常に考えさせられる作品でした。
要すれば、そうした影の部分が薄くなる、今の世界にフレディと全く同じ人物が仮に現れても、フレディ程の知名度を誇ることはないということです。
華やかさと、儚さと脆さとを同時に感じながら鑑賞していくような感覚でした。
死と生
実は史実とは違うようなのですが、作品としてアリな演出だと思うので取り上げます。
「ライヴ・エイド」の1週間前に、フレディは、メンバーにだけ、自分がエイズにかかり、死期はそんなには長くないことを話します。
そのシーンがあり、しかも、ライヴ・エイド自身が「アフリカ難民救済」を銘打ったチャリティ・コンサートであることも、途上国を中心に猛威を振るうエイズという病気を想起させるようであり、「死」を想起させます。
そんな中で、フレディのはっきりした発音で、ありったけのメッセージを込めて歌うシーンが流れ、これは本当に、「生」を感じさせるというか、魂の歌であるように感じました。
しかもライブ会場は客に埋め尽くされています。歌い手側からそれを撮影し、自分が歌い手で、満杯の客がいるライブ会場に入っていくかのような臨場感のある演出が痺れました。
漫画ではよくある演出ですが、本当に、「命の炎」を燃やして、自分の生命エネルギーを使いながら届けているようでした。
そして、このライブシーンの臨場感は映画館でないと出ないと思いました。映画で見てよかったな、と思う映画です。
ただ、実際のフレディ・マーキュリーは、ライブ・エイド後にエイズであったことを知ったというのが史実であるようではあるのですが、鑑賞時には感動したことです。
おわりに
ライブシーンも多いのですが、ストーリー性もあって、あのライブシーンが感動的なものになっていくものです。
海外発信の映画がここまで国内で話題になるのは凄いですね。そして、監督やスタッフ・出演者も本作に懸ける想い−それは大きなプレッシャーもあったかと思いますが−が尋常でなかったから、話題作となっているんだと思います。