「センス」。
皆さんはこの言葉にどういうイメージを持っていますでしょうか。
一般的なイメージを言えば、天才だけが持つもの、天性の才能のことをいうことかと思われます。
しかし、それは必ずしも真ではなく、知識の部分も大きいことを述べているのがこの本です。
はじめに
人間は能力の違いがあまりに離れていると凄いと思うと同時に圧倒され、そこに至るまでの努力量がイメージできない場合、「天才」と錯覚してしまいます。
例えば、お笑い芸人さんを見ても、いわゆる「ビッグ3」の方々は天才に見えるかもしれませんが、さんまさんは自分の映像を見まくっていて、誰よりも自分の得意分野を理解し、得意分野に話を持っていきます。相手が専門的な話をしてきても、徹底的に一般論で返しています。
また、たけしさんも著書を読めば、お笑いに関して、かなり強い持論を持っており、努力しておられることが分かります。
そんな訳で、私は天才否定派なのですが、センスに関してはよく分からないので、本当の天才がいるのかもしれません。
本書では天才は確かにいるとしながらも、センスを分析的に考えるだけでも十分に戦えることを教えてくれます。
何より、センスという曖昧な概念をできるだけ簡明に説明しようとされていると思います。
また、センスを、センスが求められるクリエイティブ・ディレクターの方が言及されていることが大きいです。
センスとは何か
それでは早速、センスとは何でしょうか。
そう聞かれると回答が難しいと思います。「なんとなく感じてくるもの」などの曖昧な回答になりますでしょうか。
しかし、本書では明快に定義しています。
「センスのよさ」とは、数値化できない事象の良し悪しを判断し、最適化する能力である。(同書18ページ)
これだけでも、なるほど、と理解が深まった気がします。しかし、そうだとすると余計に、才能が必要じゃないか、となってしまいます。
本書では、数値化できないからこそ、「多角的・多面的にらものごとを測った上で「普通」を見つけ出し、設定する能力が必要」(同書22ページ)であるそうです。
分からないからこそ、その基準となる「普通と考えられている」ことを知る。本書のタイトルにつながる話ですが、そう考えると、知識が必要であり、かつ、何を知ればいいのか、の方針が分かります。
とはいえ、翻って考えると、数値化できないために色々な「普通」を知らないといません。そのため、現実的に考えると、大変ではあるが、わずかな光が見えた、というところでしょうか。
センスの磨き方
それでは、どうなって「センス」なるものを磨いていけばいいのでしょうか。多面的な知識を得ることは分かりましたが、その力を測る指標はよく分かりません。
その指標は、本書によれば、「予測力」にあるそうです。
「知っているか知らないか、あるいは調べるか調べないかで正確な予測ができるかどうかが決まります。知識の蓄えと予測の繰り返しでセンスは磨かれていく」(同書90ページ)
本かなある例えは、マンションの引っ越しで後から周りに高層マンションが立つことを知識で予測する例が書かれていましたが、この時都市計画の知識を使って上手く引っ越しで失敗しない予測をしていたということでした。
この例が結構難しいな、と一見して思ったのですが、知識を得ること、検索して予測することを活用するということか、と理解しました。予測力や計画力と考えるとかなり分かりやすいな、と思いました。
神は細部に宿る
細部まで意識して丁重に作り上げていくことが大切であり、いわゆる「神は細部に宿る」ということでよく言われています。
とはいえ、やる側に立ってみると、「面倒臭いし、まぁ完成すればいいでしょ」という思いをついつい抱いてしまいます。
センスの分野でも同じく、細部までの拘りが大切なようです。人間のそもそもの感覚を述べているこの文章を紹介します。
「人の感覚は、とても繊細で敏感なものです。具体的にどこがどう違うのかは言えなくても、その製品が他とはなにか違っていることを、理由はわからないけれどもかっこいいこと、高い精度で丁寧につくられたものであることは、鋭く感じとります。」(同書124ページ)
この具体例で一番分かりやすいのは、日本人の半数が使うほどの流行をしているIPhoneでしょう。実際本書ではボディの具体的なテクニックについて記載されていますが、IPhoneがスタイリッシュでカッコよく見えるという人は少なくないと思います(私もIPhoneユーザーですし)。そして、実際、スティーブ・ジョブズ関連の本を見たりしていると、細部への拘りが尋常じゃないと思います。
結局、どのくらい情熱を持てるか、ということに帰着するのかもしれませんが、「神は細部に宿る」はあらゆるところに共通する要素であることを理解しました。
感覚とは知識の集合体である
言われてみると確かにタイトルの通りなのですが、感覚というものをこれまでしっかり考えてこなかったな、とハッとさせられたのがこの記載です。
「感覚とは知識の集合体です。その書体を「美しいな」と感じる背景には、これまで僕が美しいと思ってきた、ありとあらゆるものたちがあります。」(同書139ページ)
「経験することが大切であり、それが全てである」といった趣旨の指摘が色々なところでされますが、それは真であることを根拠を持ってされた気がしました。
何より、先にも書きましたが、我々は感覚というものについてしっかり向き合ってこなかったな、とつくづく感じます。
そして、感覚と向き合っていくことが必要だな、と思ったところに、厳しい言葉が載っています。
「自分が何を根拠にそのデザインを決定しているかを「感覚」という言葉に逃げずに説明しなくてはなりません。」(同書138ページ)
これはデザインを生業としている人に向けており、ビジネスパーソン向けには、なぜを聞いてみることをお勧めしていましたが、メッセージは簡明です。
…感覚という言葉に逃げない。
よく考えてみると、ワインのテイスティングをされる方とか唎酒師の方とかは味という感覚を懸命に言葉にしています。
プロから見た目線は分かりませんが、時折うさん臭さも感じながらも一生懸命に言語化している彼らは感覚に逃げない取組をされているんだなぁ、と理解が深まりました。
分からない部分を出来る限り分かるものに細分化すること、そして言語化できない部分も言語化して考えるようにすることが大切です。実際これはセンスに限らないことではあるのですが、一緒であることを指摘した点で革新的だと思いました。
知的好奇心は旺盛であれ
言葉の話から、そもそもの好奇心の話に移ります。とにかく好奇心、驚きに満ち、面白い生活を送ることがセンスを涵養することに繋がるそうです。
著者は歳の離れた人と食事会とかで色々話すのが好きであるそうです。これは他人に対する興味です。ここは私はこれまで苦手でしたが、明らかに他の方と話をすることで刺激を受け、アイデアの思いつきのレベルが変わってくることに気づいてからは、少しずつ話せるようにしていきたいと思っているところです。
そして、著者は好奇心に関する考察として、大人になると3歳くらいまでの記憶がなくなることについて、こんな仮説を立てているそうです。
「三歳までは、見たこともない世界が人間のキャパシティを超えるほど大量に目の前に現れるのではないか。「驚きのレベル」というものがあったとして、その針が振り切れるほど毎日が驚きだらけなので、記憶が飛んでしまったのではないか。」(168ページ)
個人的にはかなり魅力的に思った仮説です。仮説の証明は脳科学者等にお任せするとして、本当でないにせよ、これを信じた人が遠回りした人生を送ることは少なくともないと思います。
だからこそ、そんな驚きに満ちた生活を送るべく、興味を持ち、もった分野にのめり込むことが大切だなぁ、と思いました。
おわりに
知的好奇心について考えていくと、日本の教育過程について、「集団行動」「一律」をあまりに求めすぎではないかなぁ、と思いました。
考える力、言語化する力、知的好奇心を持つ力といった、本書で大切だと主張している力は、日本の教育過程で足りないとされている点と重なるなぁ、と思います。そしてその教育は、義務教育課程でも簡単にやりつつも、基本的には義務教育課程以降で強化すべきだと考えます。
私は海外の教育を受けたことはないので、言論が浅いですが、例えば、フランスの大学入試では哲学的な論文試験が当たり前のように課されていて、自分の意見を主張するのが文化になっています。
また、アメリカなどではディベート文化が染み付いているところもあると思います。
日本人はこれまでそういうところがなくても何とかなる世界に生きてきたのですが、その変革が求められているのが現代だと思います。
とはいえ、日本の教育を変えるのは難しいです。理由は単純で、先生となっている人がそういった教育を受けていないからです。少なくとも相当の時間がかかり、30年スパンとかそういう話だと思います。
だからこそ少なくとも当面の間は個人の努力に委ねられると思いますし、また、私自身も教育の変革に関心は強くないので、まずは、自分で経験したいと強く思いました。日本での議論もしたいと思いますが、より思うのは、海外に行って議論してみたいですね。
いずれにせよ非常に考えさせられる本であり、海外への自分の関心が掻き立てられた本でもありました。
ありがとうございました。