青山ブックセンター六本木店がなくなるというので、とりあえず行ってみました。
店に入ると、編集する読書術として特集が組まれており、そこにあった本のうちの一つがこちらの寛容論です。
2018年6月17日にこの本は買ったのですが、読みやすい他の本とかを読んだりしていたら、7月に入ってしまいました。
ようやく読めましたので、読後感を述べて参ります。ただし、前提知識無しで読みましたので悪しからず、でお願い致します。
寛容論は、カラス事件という一つの誤審事例を取り上げてはいますが、これにより差別・迫害の不当性を訴え、狂信的な人間への対応を例外として、寛容であるべき、という一般論まで述べられた書です。解説によれば、これが新たな世論の力の形成に寄与し、フランス人権宣言へと結実していきます。
カラス事件自体は、そういう事件がこの時代のヨーロッパ史ではあったのだろうなぁ、と思うのですが、本書で述べられている不寛容な例が結構エグいもの(ほぼ皆殺し、殺し方もエグい)が多く、こういう背景の元で寛容であろう、とすることの難しさと主張の必然性が理解できます。
日本では無神教の方も多いので理解しにくいのですが、宗教の難しさと戦争の歴史の意味が分かった気がします。
また、読みながらおもった重点事項を以下四点取り上げます。
まず、一点目は、歴史とは物事が起こったことを、エディットの方の編集をして、抽象化して、アウフヘーベンすることに意義があるということを学んだことです。歴史はただの事実の列挙なので、こうした抽象化をしないと、時が何となく過ぎるのみなのです。だからこそ、こうした著書で示すことで、形に残していくことが必要なのだな、と思いました。本書では、今は読まれなくとも、後の賢人が読んでくれれば、といった趣旨の記載もあり、こうした「残すこと」それも、事実の羅列は意味がなく、そこに解釈を加えて残すことの意味を学びました。正直、古典は読みにくいし、、2次、3次の解釈本の方が読みやすいのですが、原典にあたる意義を学ひました。
次に、二点目は、哲学及び理性の重要性です。解説のところでは、哲学は今はここまで重要視されていない…と書いてありますが、そのくらい本文において哲学の重要性が述べられていたのは印象的でした。また、理性についてはカラス事件にあるように、感情の揺らぎが世間にまで轟くと、それが波のように押し寄せますが、そこを止めるのは理性であるので、理性の重要性といいますか、冷静に事実を集め、そこから理解することが昔も今も重要であることを学びました。
三点目は、原則–例外論についてです。法律でままありますが、例外が原則を上回るように思えることがあります。しかし、原則は原則なのです。本書において、キリスト教がそもそもキリストが寛容を謳っていたのに、中世になると不寛容が原則のように解釈され、カラス事件のような、不合理な理由による殺戮が繰り返されました。自然法や寛容というのを原則に物事を考えよう、というのが本書の主張なのですが、これは結局、元に戻ろう、ということなので、原則があるから例外があるということをしっかり意識しないとな、と思わせてくれました。
四点目は、無知は駄目だ、ということです。本書においては時代背景から差別的に記載されていたので印象的なのですが、無知は本当に騙されるだけだな、と思いました。確かに知らないとペテン師のいうことを信じてしまいますね。知識を雑学的に披露することにはあまり意味はない気はしますが、学習することの重要性は身にしみました。時代が違えば、勉強していないと、もはや人とみなされないし、それは「寛容が大事だ」と言っている人すらそう思っている、というのはなかなかエグい事実です。…とはいえ、今も露骨な差別にはならないにせよ、無知な者への目は冷たいのですが…。。
過去の人も深く考えて、未来をよりよくするために訴え続けたのだなぁ、としみじみと思いました。
(ちなみに…
こんなことを考えていたら、イカツイ外国人のお兄さんが氷をゴリゴリといじり、音を大きく鳴らしながら英語で大きな声で話していました。氷ゴリゴリいじりながらコーヒーを飲む必要はないです。。寛容論を読んで読後感をまとめていたところだったのですが、なかなか寛容でいるのは難しいことですね。)