書評『知の編集工学』(松岡正剛著)

知の編集工学

松岡氏の著作は、多読術から入り、次に知の編集術に行き、その後戻るように本作を読みました。

読む前は、知の編集術と同じような記載なのかな、と思っていたが、編集術が具体的な編集ノウハウを記載されているのに対し、本作では編集とは何か?というところにフォーカスが当たっているように感じました。

中途においては、文学作品がたくさん出てきており、前提知識不足の私が読むとどうしても難解に感じてしまうところはありますが、所々のキーメッセージは理解できました。

【各論】

○編集技術に分け入るには、遊びと編集とがまざった状態に、一度、頭を突っ込ませてみるのがよい。

→編集は遊びである。編集は不足から生じる。編集は対話から生じる。が氏の主張である。他の2つも奥深いのだが、遊びという視点は私には斬新に感じている。ごっこ遊びとかも編集技術のモトである、とか考えていくと、大人こそ遊びが重要なのでは、と思えてくる。

○ミメロギア〜それぞれの対比が出来るだけ強調されるような言葉やフレーズを書きこんでいく。〜対比と連想を楽しむゲームである。

○何がデキがよくて何がデキが悪いかはすぐにメンバーの間で自然に判断できる〜相互評価性が発生してくる。

→相互評価性とは上記対話のことと理解している。対比して、元の語句から意味を上手く離して対比して作る遊びであるミメロギア。これまでの頭だと、無駄じゃねーか?、と思ってしまっていたが、逆である。硬直しがちな脳を柔らかく戻すのがこうした遊びにあるんだな、と得心がいった。

○編集とは結局は情報がさまざまな役柄を得て、いっときの場面を演じるゲームを、別の視点から同時分散的に演出するということなのである。

→何が言いたいのか分かるようで分からない気もしつつ、分かる気もする。分かるような教養ある人間になりたいものです。

○私たちはあえて編集を加えて自然や社会を見ているのではなく、観察することが必ずどこかで編集的創発性を生じさせているということ〜見るとはすでに編集することなのだ。

→なるほど。そこまで考えてないなー、と思った文章でした。。

○従来の知識の並び方に大いなる疑問をもち、新たな再構成に立ち向かう。

○知識を編集するのではなく、編集を知識にするべき。

→これからインターネット時代だからこそ肝要な視点。もうこの情報洪水から逃れられないので、情報を編集する力、編集という知恵がこれからの時代に生きてくると思っている。

この記事を書いた人

相羽涼太

相羽涼太

読書、手帳術、旅行記・訪問記・食レポ、ジム(運動、食事)、英語学習などを中心に記事を更新します。

インターネットの登場で、「考える」ことが減りがちな今こそ、自分なりの軸を持って、考え、発信していくことを大切にしたいと考えています。

SF(上位10位、2019年1月現在):慎重さ、収集心、個別化、責任感、自我、指令性、目的志向、自己確信、信念、学習欲