【映画録】「パーフェクトワールド」〜考えれば考えるほど深みのある、障がい者を主人公にした作品〜

こんにちは!相羽涼太(@ryotaaiba)です。

実は公開2日目に早速見ていたので、丸1週間記事化が遅れたのですが、映画「パーフェクトワールド」を見ました。

原作も含め、何も前提知識がない中で映画を見たため、映画を見た直後の感想と、その後ネットで調べたりした後の感想だと大きく見方が異なった作品です。

あらすじ

大学生時代の事故が原因で車椅子生活を送るようになった鮎川樹。彼は、元々障がい者ではなかったこともあり、急に色々と制約が生じた点について、一見受け入れていますが、心の奥底では受け入れ切れていませんでした。

それを支えるヒロインの川奈つぐみは、かつては樹を献身的に支えていきます。

色々と立ちはだかる障害を樹とつぐみが乗り越えていく中で、樹が障がい者としての自分をありのままに受け入れ、つぐみが支え合うパートナーとなっていく、恋愛・成長物語。

【参考】公式HPはこちら

映画を見終わった直後の感想

事故で障がいを負った主人公の話なので、思った通りの感動物語です。感動できるシーンは所々でありまして、心震わせるところはありました。

ただ、思ったよりは感動が薄かったです。

映画を見て感じた違和感

「君がいればそれで十分。それだけで、完璧な世界になる。」

こんな趣旨の言葉を樹がつぐみに向けて最後の最後に言いました。まあ、これがタイトルに繋がっているのですが、正直、無理に言わなくてもいいのにな、と思っていました。

また、途中で観覧車のシーンがあったのですが、観覧車がどう見ても止まっていて、撮影だから仕方ないんだろうけど、演出上は動かしておくべきじゃかな、と思っていました。

モデルの発見

このように、私は、この物語は陳腐だなあ、と正直思っていました。

  • 主人公は心理的障害を乗り越え、ありのままの自分を受け止めることができました。
    ヒロインは、主人公をしっかり支えながらも引っ張るしなやかで強い女性になりました。
  • ヒロインの父母の反対という例から、健常者からの障がい者への蔑視的目線を描きながら、時間の経過、本人の強い意思が伝わり、最後は受け入れることになりました。
  • 無理やりに見える、「パーフェクトワールド」的セリフがありました。
  • 最後は2人がめでたく結婚して、わかりやすいハッピーエンドでした。

この記事を書く時、こんなラインだったなあ、と考えて、少し書きあぐねていました。

しかし、調べた結果、この作品にはモデルがいることがわかりました。そして、そのモデルの方の記事を読んだ時、私の本作への目線が変わりました。

その結果、陳腐だと私が思ったのは、私自身が健常者であるからそう感じることに気づかされました。

当事者と傍観者

そもそも、障がい者の物語を作成するのは、難しいと思います。

健常者に比べ、生活を送る上で、ハンデがあるのは事実であること。

物語はギャップが重要である一方、健常者から障がい者になったことがすでに大きな谷の部分なので、最後は山で、教科書的には、ハッピーエンドにするのがセオリーになること

このような制約があった上で、作らなくてはいけないのです。

本作を作る、見せていく上で難しさをそもそも孕んでいることはしっかり意識すべき事柄だなあと思いました。

後からの感動

実は、本作にはモデルがいたようで、それが、建築士の阿部一雄さんという方だそうです。

阿部さんは37歳で事故に遭われたとのことで、年齢と、それに伴う周りの状況の違いはありますが、建築士であること、事故で障がいを負ったこと、骨髄の関係でトラブルが起きやすい環境にあることなど、基本ラインは同じです。

そんな阿部さんが本作に言葉を寄せていたというのです。

「キネマ旬報」より抜粋(詳細はこちら

「障がい者を題材とする物語には、どこか他のものとは違う重圧がのしかかっているのでは、と思う。なぜなら、当事者ではない視点から描かれた物語は、陳腐であり同情を誘うような薄っぺらな物語になりがちだからだ。・・・岩田剛典さんは、樹という役を通して、生活者が抱く気持ちを目、耳、手、舌といった五感を感じさせることで、見事に伝えてくれた。・・・障がいは不便であるけど不幸ではないということ。車いす生活を始めた頃から、さまざまな困難や葛藤と向き合いながら「誰かの力を借りてでも、1人の人間として生きていきたい」と強く想っていた。・・・そして、再び私に生きる力をくれたこの作品と出会えたことに感謝したい。」

この原作モデル本人の言葉の重みが違いました。

「生」への執念、生きることの価値を伝えてくれる名文だと思います。

文章を読んでそうなることはほとんどないのですが、うるうるきました。

「伝える」ことの難しさ

私は、当初、この映画をイマイチだと思いました。

しかし、モデルの方の言葉を見ると、ものスゴく感動し、映画のそれぞれのシーンが思い浮かびました。正直、これは、映画だけでも、モデルの方の文章だけでもダメで、両方見て初めてわかるものだと思います。

映像にはインパクトがある。ノンバーバルな部分も伝えられる。しかし、細部は端折らないといけない。文章には緻密さがある。論理的に伝えやすい。それでも、インパクトにはかける。

両方読んで、初めて効果があるのかな、と思いました。

これも、論理的に考えると不思議なのですが、逆(モデルの方の文章を読んでから、映画を見る)だとここまではインパクトを感じなかったように思います。

よく、広報戦略の文脈において、「メディアミックス」と言いますが、本当にミックスが大切だと思います。

映像だけでも、文書だけでもダメ。

両者合わさって、感動を生み出す。

そう考えると、選挙の時の大統領演説で感動しているアメリカ人女性の写真を見ますが、それは確かに、本人の話+スピーチライターの原稿というその2つが合わさっているからなのかな、と思いました。

それに加えて、どう当事者性を出すかも大切です。

有名なオバマの就任演説や、ジョブズのスタンフォード大学卒業演説を聞くより、ホリエモンの近畿大講演の方が私には響きました。それは、私が、アメリカ人ではなく、日本人だからだと思います。

どう当事者性を持ってもらうか。難しいですが、フィクションによってそれは持ってもらえる。そこに映画の一つの価値があるのかな、とも考えました。

色々な角度から、同じ情報を伝え続けることで、その価値観が広がっていくということなのでしょうかね。

それでも、例えば、誤った価値観が蔓延していて、その価値観を変えたい場合は、何をしたらいいのでしょうか。

デマが溢れる中で淡々と事実を伝える人も必要でしょうし、メッセージを内に秘めつつ、間接的に伝える映像・文学も必要です。その上で、大企業等による、力ある者の拡散と、ムーブメントの発生も必要です。

そうすることで、国家が動く、という感じでしょうか。それでも、ネットはこうした時間が一見かなりかかりそうなことの足をかなり早める可能性も秘めているのではないだろうかと改めて思いました。

ものすごく考えさせられた作品でした。

おわりに

それにしても作成に時間を要してしまいました。当初の反応がイマイチだったので初動が遅れたのが原因ではあるのですが。

インプット、アウトプット、フィードバックのサイクルをもっと早く回さないとな、と反省しました。